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注文多くて嬉しい悲鳴=新潟名物、年末の餅つき

ニッケイ新聞 2008年1月9日付け

 「今年はとくに注文が多くて、嬉しい悲鳴だよ」。サンパウロ市アクリマソン区にある新潟県人会館では昨年十二月二十八、二十九日に年末恒例の餅つきが行われ、柿嶋昭三会長は満面に笑みを浮かべ、そう語った。
 会館には二十人ほどの会員が集まり、朝から晩までペッタン、ペッタンという景気の良い音と威勢の良いかけ声が響いた。
 予定では三百五十キロの餅米を搗くはずだったが、次々に予約が舞い込み、最終的には五百キロに。一臼で三キロだとすれば、約百七十臼にもなる。それを二日間で分ければ一日で八十臼…。工程の半分は餅つき機で捏ねるが、仕上げはあくまで人力だ。
 母方が新潟出身の山内淳さん(76、二世)は、「機械で捏ねるだけじゃ光らないからね」といい、「餅を食べる習慣は、あと五十年経っても残るんじゃないか」と嬉しそうだ。
 男性陣が交代で杵を振るい、付き上がった熱い餅を、女性らが手慣れた仕草でどんどん丸めていく。婦人部の相沢絹代さん(70、新潟出身)は、「今年の餅はよく粘る」と目を細める。「毎年、四、五回は手伝いにきてるわ」。
 八年ほど前から毎年、注文している客、小川貞次さん(84、二世)は「新潟の餅は違うね」と出来上がりを待っていた。
 西川忠雄元会長は「本当は丸餅より、四角い切り餅の方が上手い。丸餅にはどうしても粉の味が付く。半キロの塊を買って帰ってもらって、自宅で切って食べるのが一番」と推薦する。搗きたての熱い餅を丸めるのは手間もかかる重労働であり、だんだんそのような作業を進んでやってくれる人が減っている事情もあるようだ。
 二十九日には柿嶋会長ら三人がサントス厚生ホームへ正月の餅を届けた。その一人、南雲良治元会長は「研修生、留学生もたくさん搗きに来てくれて良かった」と喜んだ。