ニッケイ新聞 2008年1月9日付け
「沖縄、サンバ、中国…支離滅裂かも知れないけど、全部面白い」――。
東京外国語大学東アジア課程中国語学科在籍の仲啓志(22、なかひろし)さんは、サンパウロでの活動をそう語る。
一昨年四月から、サンパウロ総合大学(USP)に留学、ポルトガル語習得に励みながら、旺盛な好奇心と行動力でブラジル生活を満喫している。
元々、打楽器など音楽に興味があった。サンバのリズムに魅せられ、ブラジル音楽にどっぷりとのめり込んだ。
東京近隣の大学の音楽サークルで構成され、浅草サンバカーニバルの常連エスコーラ・デ・サンバ「Uniao dos Amadores」の打楽器隊のリーダーとして活躍、ギターレパートリーは百五十曲を超える。
「一生懸命、歌詞を覚えて歌うんだけど、意味は全然わからなくて」。
訪伯への思いが高まっていたとき、リベルダーデの中国系移民の台頭や、「音楽を通した民族の発露」としてのブラジル系沖縄音楽の存在を知る。
幼少時、中国人家庭に預けられた経験や母親のルーツが沖縄であることから、その思いは確固としたものとなり、ついに憧れのブラジルへ。
以来、サンパウロ市リベルダーデ区の客家会館を訪れ、中国語で関係者に取材、「ポルトガル語が通じない」中国系学校でボランティア活動も週五日行なう。
同時に琉球舞踊団体などのイベントなどに積極的に協力、家庭にも招待され、「沖縄の絆の温かさ」を知ることになる。
「客家と沖縄にある共通点をテーマに論文をまとめられたら」と二月までの在伯期間を見据え、表情を引き締める仲さん。しかし、サンバへのアンテナも張っていたことから、さらに多忙な日々を送ることに。
日本移民周年をテ―マに今年のカーニバルに参加するリオデジャネイロの「ポルト・ダ・ペードラ」の練習に参加したとき、憧れの存在だったメストレ・ロウロ(Mestre Louro)に出会う。
「タンボリンを叩いて見せたら、『ta certo!(ばっちり!)』っていわれて大感激!」。
以来、カーニバルに向け、リオへも頻繁に練習に通っている。
「もっといたい気持ち。母親は『私も行きたい』って言ってくれるけど、日本に帰って頭を冷やしたほうがいいかも」と頭を掻く正真正銘のブラキチだ。
帰国後は、ブラジル人集住地区で音楽活動をしたいとの希望も。埼玉県出身。