ニッケイ新聞 2007年1月11日付け
日本のデカセギ子弟の教育現場とは――。二〇〇五年に本紙で記者研修をした秋山郁美さん(25歳、静岡県出身)は現在、日本に帰国して愛知県に在住している。週に一~二度、愛知県豊橋市にあるブラジル人が多いことで有名な保見団地の、ブラジル人学校でボランティア活動をしている。「デカセギ子弟同士でも日本の公立校に通っている児童とそうでない子供には微妙な距離感がある」「公立校の新入児童生徒の半数が外国人」など、ブラジルで記者経験のある女性の目から見た、日本の教育現場のレポートだ。(編集部)
【愛知県発】午後三時。ランドセルを背負った子供たちが続々とパウロ・フレイレ地域学校(エコパフ)へとやってきた。
「コモ・バイ、ハイーサ」。ブラジル人教師に迎えられ、教室へと向かう。カンチーニョの子供たちだ。
エコパフでは、ポルトガル語で小中学校の授業内容を教えるクラスのほかに、地域の小学校に通うブラジル・ペルー人が母語を学んだり宿題をやったりする教室が設けられ、カンチーニョと呼ばれている。
現在そこに通うのはブラジル人児童約二十人。一年生から六年生までが一つの教室で勉強している。
ブラジル人教師は六人、私のような日本人ボランティアは日替わりで五人ぐらい出入りしている。
ランドセルを下ろした子供たちが真っ先に向かうのは、週始めにそれぞれが用意したおやつの場所。まずは腹ごしらえだ。
日本の菓子もあれば、ブラジルで馴染みのチョコレートやスナック菓子、清涼飲料水なども机の上に並ぶ。
菓子を交換し合いながらくつろぐひと時、子供たちは徐々にブラジルモードに切り替わる。日本語、ポ語入り混じったおしゃべりが盛り上がる。
ふざけ合いがヒートアップする度に先生から注意の声が飛ぶが、いっこうに収まらない。
「子供たちは日本の学校で大人しくしている分、ここで騒ぎたくなるのよ」。ジョゼリア・ロンガット・フィジオ校長はため息をつく。
同じ教室に兄弟や従兄弟もいるとあって、騒ぎは遠慮がなくなる。先生の隣の『特等席』に机が運ばれたり、呼び出されて校長から叱れたりすることもしばしばだ。
おやつの時間を終えた子供たちから小学校の宿題を始める。両親が共稼ぎで宿題を見てもらえない、日本語の問題を親には手伝ってもらえないという理由から、ここで宿題を終えなければならない。
大学生や地域のボランティアが教室を見て回る。
わたしが宿題のサポートをしにカンチーニョに行くのは木曜と金曜。何もしなくても「先生」と呼ばれる。
なかなか名前を覚えてもらえないが、スタッフの入れ替わりの激しさゆえか。
カンチーニョの子供たちにとってエコパフは、半分母国、半分異国である場所。わたしの立場も、日本語が通じる「味方」になったり「ただのジャポネーザ」になったりする。
どの学年でも課せられている、国語の教科書の音読には、順番待ちの行列ができ、それぞれが二回、三回と読みたがるためなかなか終わらない。
小学校の宿題だけで毎日終える子供も多い。ポ語の学習進度は個人でばらばら。一日の課題や進度の目安がないため、学校の宿題が終わった途端に気が抜けてしまう子供も多い。
そうこうしているうちに午後六時、外は真っ暗。今日も帰る時刻になってしまった。(秋山郁美)