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加齢とともに活動力充実=どこからこのエネルギー=パラナの日系長老、沼田さん元気=アセルの新年祝賀会で毎年のように祝辞

ニッケイ新聞 2008年1月19日付け

 【ロンドリーナ】アセル(ロンドリーナ文化体育協会)の新年拝賀式、新年祝賀会に毎年のように来賓ととして招かれ、祝辞を述べるパラナの日系長老・沼田信一さん(ロンドリーナ、北海道出身、パラナ日伯文化連合会役員)。九十歳。今年も元気で中央のマイクを手にとった。
 沼田さんは、『信ちゃんの昔話』シリーズ、『日本人が開拓した植民地の数々』シリーズの著者としても有名だ。
 昨年からパラナの日本移民百周年記念祭典の〃厨房〃をあずかる責任者として、〃身〃と〃心〃を駆使して、第一線で大車輪の趣意説明、募金活動をしている。高齢を感じさせない、このエネルギーはどこから出てくるのか。本人は、淡々と「ブラジルの水や気候があっているのではないか」と言う。
 去る元旦、催された新年祝賀会では、特に、自分史的なブラジル渡航前の話をし、かくしゃくぶりを出席者たちに印象づけた。以下はそのあらまし。
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 私は生まれたときから病弱で、(まわりが)オギャアの産声も聞かなかった、ときいています。病院に運ばれ、医師からも生存する見込みもない、と診断され、後日、父親が出生証明書を取りに医師を訪ねたところ、死亡証明書か、と勘違いされ「あの子は生きていたんですか」といわれたそうです。それから、私は入退院を繰り返していました。
 現在、北海道は降雪が減ったそうですが、当時は十一月からの半年間は雪のなかで暮らし、冷蔵庫の中が五度くらいなのに、札幌では零下。父母は雪のないブラジルに行ったら楽だろうと考えて、昭和八年(一九三三年)、ブラジル移住を決断しました。十五歳の私を連れて検診に医師をたずねたところ、「ブラジルへ行ったら、この子は死にますよ」といわれた。
 しかし、父親は生まれたときから死ぬ、死ぬといわれながら、十五歳まで育ったんだから、温暖なブラジルに連れて行ってみよう、という決意に変りはなく、移住を果たしました。
 十五歳の私は、山伐りの仕事にも出て、休みなく働き続けましたが、病気することもなく、寝込むこともありませんでした。
 三十二歳になって幸運が訪れました。三十五歳までの人生かと諦めていたので、せめて五十歳までは生きたいと願いました。五十九歳になって健康に自信が持てるようになって、現在、共に九十歳の私たち夫婦は元気で暮らしています。こうしたことができるのも、ブラジルの気候が私たちに適しているのではないか、と思い感謝しています。今年、移民百年、渡伯七十五年を迎え、大いに人生を楽しみたいと願っています。
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 「柳に雪折れなし」というが、沼田さんは若いころは、そのような自然な生き方だったのだろう。加齢にしたがって、仕事、事業を伸ばし、著作活動にも意欲をみせて実行、さらに「公」のために働くことに喜びを見出す。先年、ローランジア移住センター内に建設したパラナ開拓神社などは、いかにも沼田さんの発想らしい。こうと決めたら突き進んでいく実行力は、多くの人に「私にはまねができない」と思わせる。
 沼田さんにとって、日本移民百周年は、自身のブラジル七十五周年。新年祝賀会で語ったように、今年はなお一層充実した一年になりそうである。(中川芳則通信員)