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ジャンゴ大統領は毒殺=収監中のウ国事務官が語る

ニッケイ新聞 2008年1月30日付け

 一九六一年九月に大統領となったが、国会に最終的権限。六三年の国民投票で再び大統領としての権限を手中にしたものの、六四年の軍部クーデターで失脚。その後、国外に亡命し、七六年にアルゼンチンで死亡。これがジョアン・グラール(通称ジャンゴ)元大統領の略歴である。
 二十七~二十九日の伯字紙によれば、大学で法律を学んだ後、農園経営に携わっていた青年が政治の世界に入ったのは、同郷のゼトゥリオ・バルガスと親交を持ったことがきっかけ。以来、州議員、下院議員、労相、副大統領、大統領と上り詰めていったジャンゴ氏だが、政権崩壊後は地元に戻った後、国外に亡命。
 最初の亡命先のウルグアイで農園経営を始めた氏は、アルゼンチン、パラグアイにも農園を広げ、七三年にブエノス・アイリスに移った。
 この時から亡くなる七六年まで、二四時間監視していたというのがブラジル内に収監されているウルグアイの元事務官。彼は、ジャンゴ氏の農園にしかけた盗聴装置ですべての会話を盗聴。ブラジルに帰国したいという氏の希望なども時のブラジル政府に伝えられていたという。
 しかし、帰郷の念に駆られた氏の言葉は曲解され、時の大統領ガイゼル氏にジャンゴ氏帰国希望の報が伝わった時に、「邪魔者のジャンゴ氏をどうすればよいか知っている」と耳打ちした将軍に、ガイゼル氏が「ならばそれを実行しろ。おれの前でやつの名前は二度と口にするな」と返答。この言葉は、仲介者を通して元事務官らに伝えられ、心臓麻痺同様の症状を引き起こす毒薬が氏の常用薬の中に混ぜられたという。
 やがて、薬を服用した氏が心臓麻痺で死亡と診断されるが、司法解剖は伯軍により差し止められ、毒薬検出には至らなかった。元事務官によれば、米国CIAも関与していたという。
 この証言はジャンゴ氏の子息にも伝えられ、子息は再調査を要請。下院議員からの調査要請も出される予定だが、二十八日にはジェンロ法相から、政府が調査を命じる可能性の示唆もあった。
 ジャンゴ氏の伝記には、毒殺説もあるが証拠はないと書かれたりしている。