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祝・トヨタ・ド・ブラジル50周年

ニッケイ新聞 2008年2月9日付け

トヨタ・ド・ブラジル=ブラジル進出半世紀を祝う=ルーラ大統領「さらなる経済交流を」=豊田章一郎名誉会長、4人の元社長らも列席

 「更なる将来の発展を」―――。ブラジル進出50周年を迎えたトヨタ・ド・ブラジル(長谷部省三社長)の記念セレモニーが1月30日夜、サンパウロ市のコンサートホール「サーラ・サンパウロ」で開かれた。ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ大統領、ジョセ・セーラサンパウロ州知事、ジルベルト・カサビサンパウロ市長、南大河州グアイーバ市に同社の物流センターがあることから、イエダ・クルシウス同州知事、日本からは豊田章一郎名誉会長(第6代トヨタ社長)を始め、4人の元ブラジル社長が出席した。1200人の招待客は改めて日伯経済交流におけるトヨタの重要性を再認識しつつ、半世紀の業績を振り返った。
 トヨタ・ド・ブラジルの五十年の歴史が映像で流された後、長谷部社長は、半世紀を記念したモットー「更なる将来の発展」(Ampliando Horizontes)を強調、日本移民百周年を機に日伯関係の強化に貢献したいとの考えを示し、冨江新次、長岡徳治、宇治嘉造、岡部裕之元ブラジル社長らを紹介、会場から拍手が送られた。
 豊田章一郎名誉会長(第六代トヨタ社長)はトヨタ・ド・ブラジルの存在を「将来のトヨタを支える原動力」と位置付け、今日の発展に対する政府関係者の協力に感謝の言葉を述べた。
 続けて、昨年創立七十年を迎えたトヨタの歴史にも触れ、「五十年前に最初の工場建設のため、ブラジルに進出したとき、トヨタはまだ小さな自動車組み立て工場だったが、決断は間違えていなかった。今、世界におけるトヨタの発展とブラジルがそれに協力していることを感じるのは幸せな限り」と評価。
 最後に、「自然環境と消費者を大事にし、更なる発展を」と締めくくり、万雷の拍手が会場から送られた。
 在ブラジル日本国大使館の新井辰夫公使は、昨年の日本式地上波デジタルTV採用、トヨタのフレックス車の製造開始などに触れ、「日伯交流年を機会にさらなる経済関係の発展を期待」とあいさつ。日本政府を代表し、日本とブラジルの明るい将来を見据えた。
 続いて、ジルベルト・カサビサンパウロ市長は、市主催の百周年オープニングセレモニ―を一月に行なったことを報告。
 「日本移民やその子弟はブラジル国家建設のために尽力したブラジル人であり、我々はそのことを誇りに思う」と百年の歴史を顕彰した。
 なお、一九五八年のトヨタ進出時、サンパウロ市内セントロに事務所ができたことに、「日本のテクノロジーがブラジルでスタートした場所」とトヨタとサンパウロ市が共に歴史を刻んだことを強調した。
 ジョゼ・セーラサンパウロ州知事は、五八年に開催されたワールドカップ(スウェーデン、ストックホルム)でブラジルが優勝したことから、トヨタカップ(現クラブ・ワールドカップ・ジャパン)など、ブラジルと日本のサッカー交流について会場の笑いを誘った。
 百周年について、「日本移民のサンパウロ州への貢献は図り知れない」と話し、日系人の大学進学率の高さにも触れ、自身も学生時代、日系人の友人が多かったことも語った。
 「サンパウロはイタリア語訛りのポルトガル語を話す日本人が住む世界で唯一の場所」と冗談交じりに話しながら、「アリガトウ」と締めくくった。
 ルーラ大統領は、移民百年とトヨタのブラジル進出五十年を迎える〇八年を「偶然ながら記念すべき年」とし、日本移民について、「笠戸丸の七百八十一人から始まった日本人移民は奥地に分け入り、異なった環境に負けず、ブラジルの開発に貢献した」と話した。
 初めての仕事が日本人の経営する洗濯屋だったことや、〇五年の訪日時、名古屋在住のデカセギとの会合、七五年の初訪日がトヨタ労組からの招待だったことなどを披露し、「私は日本文化とアイデンティティのつながりを感じる」などと、日本・日系社会との個人的な思い入れを強調。
 六一年から四十年間製造されたディ―ゼルエンジンを積んだランドクルーザー「バンデイランテ」を、「ブラジルの悪路を克服する素晴らしい性能を持った車だった」とトヨタの技術を高く評価した。
 近年冷え込んだ両国間の経済関係を六〇年代の日本企業進出ブームと比較しつつ、「デジタルテレビもブラジルは日本の技術を選んだ。エタノールを通しても両国の関係はこれから強くなるはず。トヨタを始め、他企業の更なる投資をブラジルは受け入れる態勢にある」と力強くアピール、日伯経済交流の強化を期待した。
 「トヨタは〇七年には七万二千台を国内で販売した。〇八年にはもっと、〇九年にはさらに増やすに違いない」と語った。
 セレモニー後のショーでは、「ブラジルの声」と言われる国民的歌手ミルトン・ナシメントが登場、セレモニー開始時にギターでブラジル国歌を独奏したトッキーニョと歌手ロベルタ・サーとデュエットを披露、イベントに華を添えた。
 立食形式での晩餐会で来場者らは、トヨタが製造していた「バンデイランテス」や「カローラ」が展示された会場で、グラスを片手に歓談を楽しんでいた。

■トヨタ・ド・ブラジルの沿革■イピランガで産声あげる=海外初の生産拠点を設置=バンデイランテスで定評得る

 トヨタ・ド・ブラジルは一九五八年一月二十三日、サンパウロ市セントロで産声を上げた。まずは事務所を開き、同年十二月からは同市内で最初の組立ラインの操業をはじめた。
 その五カ月後、ディーゼルエンジンを搭載した初のランドクルーザー、通称バンデイランテをブラジル市場に発表した。
 続けて六一年にサンパウロ州サンベルナルド・ド・カンポ市に工場を設立。日本国外で初となる生産拠点を立ち上げた。その後、四十年にわたりブラジル市場の代表的な実用車として、バンデイランテスの製造販売をつづけた。
 九九年十月にバンデイランテの製造十万台を達成。〇一年十一月には四十年にわたる同工場での生産ラインの歴史に終止符を打ち、自動車部品の生産工場へと移行した。
 この間、九六年には一億五千万米ドルを投資してサンパウロ州インダイアトゥーバ市に百五十万平方メートルの土地を購入、新工場を立ち上げた。九八年九月、ブラジル初となるカローラの生産を同工場で正式に開始。さらに二年間で、三億米ドルを投資して設備を拡張し、新型カローラを〇二年に発表した。
 カローラは世界でもっとも販売されている車種として、トヨタが生産をはじめた六六年から、通算で三千二百万台以上を販売している。ブラジル国内でも予想以上の販売実績をあげ、〇三年一月からはインダイアトゥーバ工場で二交代制勤務を導入、生産規模を百二〇%増に押し上げた。〇四年一月には、同工場のカローラ通算生産台数が十万台を達成した。
 更には新型カローラの販売安定を受けて、〇四年五月から千五百万米ドルを投入してセダン型のカローラフィールダーを販売。ブラジル自動車市場を再活性化させる働きを示し、同タイプの代表的な車種として普及した。
 昨年からはブラジル市場でのシェア拡大を狙い、バイオエタノール混合率一〇〇%燃料にも対応するカローラフレックスの製造に着手。ブラジルと日本の技術者が共同開発した技術を採用した。それはトヨタ自動車の歴史上、ブラジル市場に向けて実施したはじめての本格的な技術開発となった。
 また、増加するトヨタ車の需要に対応するため、〇四年には九十だった販売小売店を〇七年には百二十店舗までに増やした。
 このほかブラジルにおけるトヨタの成長を支えた重要な要素に、〇五年五月、リオ・グランデ・ド・スール州ポルト・アレグレ近郊グアイーバ市に設立した完成車両物流センターがあげられる。これによりアルゼンチン・サラテ工場生産車の輸入が、エスピリト・サント州ヴィトリア港を経由する海路輸送よりもスムーズになり、ディーラーのもとに届くまでの時間が大幅に短縮可能になった。
 同センターの敷地面積は五万八千平方米で、事務所、車両をブラジル規格に調整する整備格納庫を含めた建築面積は、二千五百平方米。サラテ工場で製造する新型ハイラックスと、アフターサービス向けの自動車部品の配送拠点として、重要な役割を担うようになった。
 これらの変革を経て、トヨタ・ド・ブラジルは現在、サンベルナルド・ド・カンポ、インダイアトゥーバ、サンパウロ、グアイーバの関連施設などに、二千八百人以上の協力者(従業員)を抱えるまでに成長した。

〝世界のトヨタ〟への道=「研究と創造」の歴史振り返る=「自動車をとおして豊かな社会づくり」

 トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎氏(1894年~1952年)は、自動織機の発明家として歴史に名を残す豊田佐吉氏(1867年~1930年)の「研究と創造」の精神を引き継ぎ、当時日本ではまったく未知の分野であった自動車づくりに生涯をかけた。試作に試作を重ね、一九三五年にA1型試作車を完成した。
 一九三八年にはいち早く、現在世界中の生産業に影響を与えている「ジャストインタイム」方式を本格的にスタートさせた。一九四八年には日新通商(現・豊田通商)を、翌一九四九年は日本電装(現・デンソー)を設立した。
 一九八五年には輸出累計が二千万台を、翌八六年には国内生産累計が五千万台を超えるなどますます勢いを増した。
 一九九九年十月には、日本国内生産累計十億台を達成するなど、世界を代表する自動車メーカーへの階段を確実に上っていった。
 現在は、二十六の国と地域で生産拠点を所有し、世界百七十カ国での販売網を確立。先月月二十三日に発表された昨年の販売台数では、世界首位のGM社に約三千台の僅差で迫る九百三十六万六千台の業績を明らかにし、〃世界のトヨタ〃を印象付けた。
 張富士夫取締役会長、渡辺捷昭取締役社長ら経営陣の強いリーダーシップのもと、創業以来の方針である「自動車をとおして豊かな社会づくり」をめざして躍進している。
 また同サイトによれば、ダイハツ工業と日野自動車の親会社であり、富士重工業の筆頭株主でもある(株式保有比率八・七%)。
 トヨタは昨年、ブラジルでの販売記録を更新したと発表。六万九千七百九台を記録した〇六年より三%増となる七万二千二十四台を販売した。年間七万台の大台は同社にとって初めての快挙となった。
 トヨタ・メルコンスルのルイス・カルロス・アンドラーデ・ジュニオール副社長は「トヨタがブラジルで成し遂げてきた輝かしい実績は、ブラジル国内のユーザーの信用を少しずつ獲得していった証明である」と強調する。
 中でもハイラックス車は昨年のトヨタの業績を後押しした。昨年度統計で、一万七千三百八十九台を売り上げた〇六年より一一%増となる一万九千三百四十四台を販売し、記録を更新。ディーゼルエンジン搭載車種のリーダー格として、同車種ではブラジル市場で三九%のシェアを占めるようになった。
 ハイラックス・スポーツピックアップ(SW4)の販売伸張もトヨタの記録達成に大きな貢献を果たした。昨年、前年比一四%増となる七千六十九台の販売を記録。同車種においてもブラジル市場で、三九%のシェアを獲得。ディーゼルエンジン搭載のスポーツタイプ車種としてみれば、ブラジル市場で五〇%以上の普及率を示した。
 次世代カローラが今年上四半期にブラジル市場に投入される見通し。カローラのセダンタイプは昨年、ブラジル市場で二二%のシェアで業界二位の実績を残した。「今後ともカローラはブラジル市場において耐久性と信頼を兼ね備えたものとして評価され、大きな利益と優れた価値を生み出していくだろう」とアンドラーデ副社長は話す。
 すでにトヨタフィールダーはブラジルで通算八千五百十一台が販売され、ステーションワゴン型車種のリーダー格として、ブラジル市場で五一・七%のシェアを占めている。

■トヨタ・メルコスル■亜国と共同して南米全域へ=環境と調和した発展追求」

 南米での生産販売の強化、また更なる新規顧客の獲得を目指すため、トヨタ・ド・ブラジルは〇三年、トヨタ・ダ・アルゼンチーナと共同して、トヨタ・メルコスルを結成した。
 同メルコスルはアルゼンチン・サラテ工場に九億米ドルを投入。カローラやステーションワゴンのカローラフィールダーを生産するブラジル・インダイアトゥーバ工場と連携する工場になった。
 加えて同工場に二億米ドルを投資して、ピックアップトラック型のグローバル戦略車「IMV」(ハイラックス)の量産に南米で初めて着手。〇五年には年間十万台以上の生産レベルに達し、南米各国への輸出と生産を支える重要な地位を占めるようになった。
 地域経済の活性化と発展に貢献しながら、職業雇用の供給と安定、環境と調和した発展を目的とするトヨタ・メルコスル。その結成は大きな成果をあげ、両国で五千人超の協力者(従業員)を抱える生産体制を整えた。