ニッケイ新聞 2008年2月14日付け
一月十六日のサンパウロ市北部での軍警大佐殺害とその後二四時間も経たずに起きた七人の大量殺人のことは既報だが、これらの事件に軍警による殺人集団が絡んでいると見られ、軍警将校の中には脅迫を受けている者もいると、九日と十三日のエスタード紙が報じた。
軍警将校たちへの脅迫は昨年から始まり、最初に脅迫を受けた将校は、管区内で四件の大量殺人(一度に三人以上殺される事件)が起きた後の昨年六月、サンパウロ市北部の第一八師団陸軍中佐の職を辞し、ジュンジアイに配置転換となった。この中佐は「自分の配属区域には一般人のならず者と警官のならず者が山ほどいる」と同じメトロポリタン第三警備隊(CPA―M3)将校にこぼしていたという。
この中佐の後にも別の中佐が脅迫を受け、第一八師団を辞している。また、第五師団司令官と陸軍大尉のほか、少なくとももう一人の大佐とその家族も脅迫の対象者。
サンパウロ市北部の司令官の集まりでは、皆が「次は誰がやられるか」と口にしていたという。一月に殺害された大佐は、CPA―M3を指揮していたほか、大量殺人に関与したと思われる警官らの配置転換を実行し、殺人集団の調査、追跡を指揮していた。
これまでの調べでは、昨年の大量殺人や大佐殺害の現場で見つかった弾についているキズが一致し、使用された三八〇ミリ口径と呼ばれる銃器が警官の使用するタイプのものであること、大佐殺害犯が警官の制服である底厚の靴をはいていたことなどから、大佐殺害と他の大量殺人との関連も含め、捜査が進められている。
捜査当局では大佐殺害容疑の逮捕者三人のほか、一八、四三、五、九各師団に属する警官の中から約二〇人が殺人集団に関与していると見ているが、実証困難で、人事異動も難しいという。この集団は、発端が第一八師団所属軍警だったことから「一八師団の殺人者たち」と呼ばれている。
集団のうちの一人を知る関係者は、「あいつは病気で、一八師団の戦略実行班にいた時も皆が腫れ物に触るように扱っていたが、週に一人か二人を殺さないと気がすまないんだ」と。聖北地区はサンパウロ市の中で大量殺人が最も多い地区。
十三日フォーリャ紙は、捜査当局が、大佐殺害に使用された銃器が所持者特定を困難にするため外部に流され、加工されている可能性を案じていると報じた。