ニッケイ新聞 2008年2月14日付け
サンパウロ州イグアッペ市に「ブラジルの日本人植民地発祥の地(Berco da Colonizacao Japonesa no Brasil)」の称号を贈る法令が、二〇〇七年十二月十五日に連邦下院で可決された。同二十四日には上院でも可決され、今年一月十一日にはルーラ大統領や文化大臣も認可して、法令11・642/2008となり、晴れて正式になった。リベイラ河沿岸日系団体連合会の山村敏明会長は「長年の念願がかなった。百周年の記念すべき年に決まって本当に嬉しい。準備に拍車がかかります」と声を弾ました。
レジストロ市在住の金子国栄さんによれば、「イグアッペ市ジポヴーラ地区に一九一三年十一月九日、桂植民地が誕生した。桂の名前は当時の日本の内閣総理大臣、桂太郎の名前をとり命名されたもの。日本人の入植に際して当時のイグアッペ市長、アントニオ・ジェレミアス・ムニース氏、ジョゼ・サンターナ・フェレイラ市会議長の理解と協力を忘れてはならない」という。
最初の日本移民は、一九〇八年六月十八日にサントス港に下船した百六十四家族、七百八十一人の笠戸丸移民であるが、その人たちは奴隷制度が廃止された二十年後、主にコーヒー園や農作業の労働者として、サンパウロ州の奥地の六耕地、グアタパラ、カナーン、フロレスタ、サンマルチンニョ、ヅモン、ソブラードに配耕された。
桂植民地には、笠戸丸移民が労働契約期間を終えて移り住んだ人が多い。最初二十家族が入植し、さらに三十家族以上が入った。
金子さんによれば、それから九十五年が過ぎ去った今でも、中村家、陣内家、平川家など、その子孫がイグアッペやレジストロに暮らしている。
桂植民地の最盛期には郵便局、商店街、学校、カトリック教会もあり活気があったが、交通や通信が不便なため、住民はイグアッペの町中心部、あるいは他の町へ移転して行った。
桂植民地で生まれ育った中村忠雄さん(80)と清美夫人が、ジポヴーラ部落に住んだ最後の日系人である。中村さんは昨年体調を崩し、レジストロに移転した。「病気をしなかったら、未だジポヴーラに住んでいたかった」と中村さんは彼の地での長閑な生活を思い出していた。
これは地元日系団体の要請を受けたアルナルド・マデイラ連邦下議(PSDB)の提出した法案。
山村連合会会長によれば、イグアッペ市に現在住んでいる日系人は百三十家族ていど。「今までは少し沈滞していたが、願いが叶ったことで、地元の百周年の準備が進みます」と喜んだ。
Bercoは「揺りかご」や「出生地」の意。「植民地の揺りかご」では不明快なので、日本語の公証翻訳人に相談した結果、「発祥の地」になった。
なお、イグアッペに近いレジストロ市は〇六年三月に、Marco da Colonizacao Japonesa(日本人植民地ゆかりの地)の称号が贈られている。