ニッケイ新聞 2008年3月1日付け
ブラジル野球ソフトボール連盟(大塚ジョルジ会長)の、百周年記念事業の一環として行われたデンソー女子ソフトボールチーム(日本)とブラジル代表チームとの友好親善試合。デンソーのマウンドにはブラジル代表チームを見事に打ち取っていく染谷美佳投手(24、二世、アチバイア出身)の姿があった。
美佳投手はアチバイア市生まれの日系二世で、〇五年から日本代表選手に選ばれている。ブラジル代表として出場した経験も持っている。美佳さんは二重国籍保有者のため日本代表にも出場できている。同時期に日伯の代表にはなれないが、年度が違えば日伯両方で代表になることも可能だ、という。
美佳さんは十二歳の時にアチバイア日伯文化体育協会でソフトボールを始めた。父親の肇さんは陸上の選手だったために「娘にも陸上を」との希望だったが、陸上部がなかったためにソフトボール部に入部。
以降才能の片鱗を見せ始め、常に投手をつとめている。一九九九年に台湾で行われたジュニアの世界大会にブラジル代表として出場。当時、栃木県の白鴎大足利高校女子ソフトボール部の監督が日本代表コーチをしていた。
日本の技術の高さに驚き「日本に行ってソフトボールをしたい」と同監督に訴えて、名刺を貰った。その後、名刺を頼りに連絡を取り、十七歳の時に同校に編入した。同校卒業後は株式会社デンソーに入社して以来、現在まで同チームでプレーしている。
十六日に行われたボン・レチーロ球場で行われた試合には母親の染谷光子さん(51、東京)が応援に駆けつけていた。「ブラジルにはない先輩後輩関係で一番苦労したと思う。日伯の文化の違いにも悩まされながらも、七年目で副主将もつとめるようになって、日本にも順応してきたのだろう」と娘の成長を喜んだ。
日本に送り出したことに関しては、「両親との会話は日本語だったから、日本語を喋るのは問題なかったし、親戚や祖父母たちは日本に多くいたので心配はなかった」と、この点は不安がなかった様子。
今年八月に行われる北京オリンピックの日本女子代表候補に名を連ねている。現在候補は二十二人で、最終候補は十五人に絞られる。投手は現在六人、二人が外される。「厳しい状況」と光子さんは代表入りが難しいことを話した。
「ブラジルを出発する時に〝日本代表に入りたい〟と言ったから、がんばってほしいね」とエールを送り、「よくがんばったね、と言いたい」と労った。
美佳さんは「(今回の来伯は)リーグ戦では楽しめない楽しみがあって良かった。七年ぶりにブラジルのレベルが上がっていることに驚いた」と久し振りのブラジルを堪能した様子だった。
十六日に行われた試合中にはTVグローボなど多くの報道関係者が訪れていて、ブラジルでも人気の高さが窺えた。
一方、妹のチエさんは十七歳と最年少で、パンアメリカン大会のブラジル代表候補に名を連ねていた。しかし、最終選考にもれたため同大会への出場はならなかったが、この日は投手として出場し姉妹対決を演じた。