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愛知・保見団地でシンポ=「外国人児童生徒の教育」(下)=ブラジル人自身立ち上がる必要=「母国側と連携」も考慮して

ニッケイ新聞 2008年3月7日付け

 【愛知県豊田市発】終了後、司会の楓原さんに話を聞くと、「このシンポジウムで外国人に還元しよう、というのではない、一緒に地域を作っていくのが目的」と言い、今回の成果について「自分の活動に関しても、シンポジウムに関してもジレンマがある」と厳しい表情を見せた。
 保見ヶ丘の人口約九千人のうち、四六・五パーセントが外国人、そのうち九三・一パーセントがブラジル人だ(二〇〇七年十月一日現在)。
 ブラジルの日系社会では県人会、文化協会、カラオケや和太鼓、マンガなど日本文化のさまざまな団体、日系若者のグループがたくさんあることを考えると、ここにもブラジル人によるグループがあってもおかしくない。だが、実際には現在一つもないという。
 「これまで二つくらいあったことがあるけれど、リーダーの帰国や、なんとなくで解散してしまった」と楓原さん。
 日本語が話せなくても生きていける、仕事はある、という保見独特の〃ぬるさ〃が、団結や向上心を阻んでいるのかもしれない。
 来日の時期、在日期間、教育を受ける言語、これから生きていく国、親の方針、条件が変われば必要な教育も変わり支援も変わる。
 まだまだ満足とはほど遠い教育の現状に、どうしたら「甘やかし」にならない支援になるか、という議論も必要だ。
 支援不足でいえば、地元の大手自動車会社は、下請け、関連、派遣などで間接的ではあっても、多くの外国人労働者によって支えられているが、これら企業による学校等への援助は行われていない。
 ブラジルで暮らす子供たちも日本で暮らす子供たちも、同じ移民の子孫であるのに、学ぶ時期をどちらで過ごすかによって大変な違いが生まれる。
 一概にどちらだったらよいとは言えないが、基盤の違いは明らかだ。日本では日本人と同じように学校へ通わせる以外の選択肢が少ない上に貧しく、子供は苦労を強いられる。親は相当の覚悟をするべきだ。
 子供がバイリンガルになって損をすることはない。それが一つの解決策であることは多くが認識している。問題は、どうしたら実現できるかというノウハウの蓄積がないことだ。
 ブラジルでバイリンガル、トリリンガル教育を実施している日系校との協力も一つの選択肢かもしれない。
 さらに、これから来日、再来日をする家族にはあらかじめ注意喚起を促す必要があるのではないか。日本に来て、すでに出来上がっているコミュニティに浸ってしまってからでは遅い。
 来日する前に子供の教育について考える、行く場所の学校を調べる、ということをどのくらいの親がやっているか。
 サンパウロでデカセギ問題を検討しているISEC(文化教育連帯協会)が日本の教育制度についてのマンガ形式のパンフレットを作っている。日本の在外公館や派遣会社(エンプレイテイラ)などと協力して、子供の教育に関するしおりを配布するような、根本からの取り組みが欲しい。
 また、デカセギ希望者向けに特別な日本語能力促成塾を行っているブラジルの日本語センターなどとの連携があってもいい。
 ただし、なにより必要なのは、ブラジル人自身が子供のために立ち上がることだと感じさせられるシンポジウムだった。
(おわり、秋山郁美記者)



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