ニッケイ新聞 2008年3月11日付け
サンパウロ日伯援護協会(森口イナシオ会長)は八日午前、移民百周年と来年の創立五十周年記念事業として計画している「福祉センター」の定礎式・鍬入れ式を、建設地のサンパウロ市リベルダーデ区ファグンデス街でおこなった。好天にも恵まれ、援協関係者や来賓・関係者など約百人が援協一大事業の晴れの日を祝福。ブラジル戸田建設(阿部勇社長)が施工を担当し、当局から建設許可がおり次第すぐに着工する。建設費は約八百万レアル。工期は約十カ月を予定しており、内装設備を整え、来年四月から六月ごろには落成開所式を開きたいと関係者は意気込んでいる。
森口会長は冒頭のあいさつで、同センター建設案が百周年事業に認可されたことに感謝。援協関係者や設計を担当した「SHIEH」社らに謝意を示したうえで、「今後は一般の皆様にも募金をお願いしたい。関係者一同団結してセンター完成に向けて努力しよう」と呼びかけた。
続けて同社設計士で台湾系ブラジル人のレオナルドさんが概要を説明。「センター完成後は日系コミュニティーのシンボルになるだろう」と祝福した。
森口会長と阿部社長が施工契約に正式にサイン。日系神父の祝福後、森口会長、阿部社長、西林総領事の三人が「エイエイオー」と大きな掛け声で鍬入れをした。
阿部社長は「大変大きな責任を感じている。安全、工期、品質を最大限に守り、皆様に満足していただける建物をつくります」と約束。野村アウレリオサンパウロ市議は「三月八日はサンパウロ市民の記念すべき日になる」と述べた。
西林万寿夫サンパウロ総領事は、半世紀にわたる援協の福祉活動を称えたうえで、「工事が順調にすすむように」と祈願。山下譲二文協副会長は上原幸啓会長の祝辞を代読した。
あいさつ後、出席者全員が名前をサインしたセンターの設計図をタイムカプセルに詰め、コンクリート製の蓋にセメントをかけて埋めた。
建設地前の宮城県人会に会場を移してカクテルパーティーを開催。会場には日伯友好病院建設のさいに、十四キロ半の金塊、一万六千ドルを寄付した宝田豊造さん(88、東京出身、サンパウロ市在住)の姿もあった。
宝田さんは、今回も同センターの建設資金の募金第一号として、すでに七万レアルを寄付している。「あの世にはお金をもっていけない。日系社会のために寄付をするのは当たり前」と力強く話していた。
森口会長は一年近く申請を続けているセンターの建設許可を早く出してもらうため、この日、野村サンパウロ市議に市当局への働きかけを依頼。また建設材料置き場を確保するため、隣接する駐車場の所有者であるリベルダーデ商工会の池崎博文氏に協力を要請した。
八百万レアルの建設費はすでに自力で工面しており、今後は森口会長をはじめ援協役員が、ブラジル国内や日本側の関係企業などを訪問し、資金協力やセンターで使用する内装品、医療機器の援助を訴えていく。
地上5階、地下3階建て=日系福祉の〝総本山〟に
【福祉センター概要】
構想、建設地の購入から丸二年。援協創設五十周年記念事業の目玉。日系社会のさらなる百年を見据えた、福祉事業の総本山的な役割を果たせるような施設をめざしている。
地上五階、地下三階建て。敷地面積は千二百九十九平米、地上階延面積は三千五百三十平米。地下は全て駐車場、八十七台が収容可能。
一階には現在文協地下にある総合診療所を移転、二階と三階は人間ドックを受診できる検査室を備える。
四階部分には、福祉部やデイケア・センター、図書室、展示室、中高年軽運動室、ふれあい室など。五階には事務局や役員室、応接室。あわせて現段階では百人から百五十人収容の記念講堂を設ける。
駐車場の下には、各階に通じる空気冷却パイプを設置。低温度で安定した地下の空気を利用し、センター内の温度調整をおこなう。通常の空調設備より低コスト化が狙えるという。
屋上部分にあたる六階部分の半面には、コンクリートで部屋の枠組みをつくり、募金の集まりがよければ、そこに五階に予定している講堂をつくる。残りには芝生を敷き、散歩ができる憩いの場にする。あわせて雨水を利用した給湯用の太陽電池パネルを置く予定。