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笠戸丸の鐘売ります!?=史料館=謎の男性が写真もちこみ=憶測呼ぶ「1908」の謎=情報提供求める史料館

ニッケイ新聞 2008年3月13日付け

 誰がために鐘は鳴る――!? ブラジル日本移民史料館に六日午後、初老の非日系男性が現れ、「(K)ASATOMARU 1908」と銘のあるブロンズ製と見られる鐘の写真を持参、同史料館に購入を持ちかけた。高さは約七十センチ。一九〇〇年に建造された笠戸丸(イギリス船ポトシとして進水、ロシア船カザンに改造後、〇五年に同名)の鐘にブラジル到着年が記されることは考え難く、「(ブラジル側で)何かの記念に鋳造されたものではないか」と史料館関係者は話している。
 この男性、南麻州に近いサンタフェ・ド・スール市から来たといい、骨董品のコレクターだという。
 五、六年前にカンピーナスの古物商から、この鐘を六千レアルで購入。古物商によれば、笠戸丸移民の孫だという日系人がこの鐘の元持ち主で「祖父がサントスで下船したとき、船員から記念にもらった」と話していたようだ。
 本物だとすれば、百周年の象徴となる〃歴史的大発見〃だが、常識的に考えて俄かには信じ難い。そもそも「笠戸丸」や「1908年」が意味を持つのは、後年になってのことだ。
 同史料館が所有する最古の笠戸丸移民の集合写真は、一九三三年に二十五周年を記念して撮影したもの。印刷物としては、半世紀後の「かさと丸」(五八年、日本移民五十周年祭委員会)が初となる。
 同史料館の小笠原公衛JICAシニアボランティアは、「何らかの周年記念に作られたとも考えられるが、新聞などで鐘が鋳造されたというのは確認できていない」と話す。
 何の記念かを記す表記があることも考えられるが、片面側からしか撮影されていない写真だけではそれも判断できず、「戦前であれば、日本語で『笠戸丸』と入れたのではないか」との指摘もある。
 「謎の笠戸丸の鐘」の出現は、関係者らの憶測を呼んでいるが、鐘の持ち主は、また史料館を再訪すると話しているだけで、連絡先は残していない。
 この鐘について、情報をお持ちの方は史料館(電話=11・3209・5465、小笠原、田中)まで。