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「百年の知恵」=日系人とバイリンガ=多言語と人格形成の関係を探る=□第2部□2世世代の特殊性(8)=セミリンガルの罠(わな)=アイデンティティの危機

ニッケイ新聞 2008年4月2日付け

 バイリンガル教育には、ある程度の知識を持って臨まないと、思わぬ結果を招くこともある。二言語話者に育てようとして、どちらも中途半端なセミリンガルになってしまう危険性、そしてアイデンティティの不安定性さだ。
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 戦前の植民地にあった小学校などのように、授業も日系人ばかりの場合は「ブラジルで生まれた日本人」的な人格を形成しやすい。大学に行かず、そのまま植民地で親と同居生活を続ければ、「日系らしい日系人」といわれるような、比較的安定したアイデンティティを持つ傾向がある。
 ただし、前回で紹介したように、戦後多くの移民は植民地を捨て都会に出て、子供を大学に送り込み、短期間に社会上昇を図った、といわれる。
 幼年期に家庭内で日本語によって母語形成した二世が、日本人集団地の外、都会の小学校などに入学すると、一気にポ語環境に変わる。思春期にアイデンティティの問題が起きないように、両親からの十分な支援が必要だ。
 公の教育の基本は「その国のよき国民」を育成することだ。学校の同級生みんなと同じように考えることが求められ、「自分はブラジル人」という自覚を自然に強めていく。
 つまり、幼年期の母語形成は日本語なので、親が求めるように「メンタリティは日本人」に育っているが、学校では「お前はブラジル人」と教えられることにより、「理想的なブラジル人はこのように振る舞う」という今までとは別の行動パターンなどの基準を教え込まれる。そして、いったいどちらが正しいのかというアイデンティティの問題を抱えやすい。
 その結果、思春期に「自分は日本人でもブラジル人でもない」というズレに悩むことが多いようだ。
 戦後、敗戦を真摯にうけとめた一世の親が「これからはポ語の時代だ。お前は日本語をしゃべらなくてもいい」と判断し、家庭内でもポ語を通した家もあった。
 有名な精神科医チバ・イサミさん(二世)が昨年十二月に文協統合フォーラムで講演したおり、やはり父親から「お前はポ語を覚えろ。家庭内でもお前はポ語をしゃべればいい」と指示され、親は日本語をしゃべるが、チバさんはそれにポ語で答えるように育てられた、と語っていた。
 このような場合、やはり両親ともに一世であり、幼年期は日本語で母語形成しているが、十歳前からポ語に切りかえて成功した例だ。途中からポ語を第一言語とし、思春期に人格形成を完成させ、高度な論理思考能力を発達させたケースではないかと思える。
 バイリンガル用語では「乗っ取り」といわれる現象だ。本来の母語である日本語は使わないので、どんどん能力が衰える。
 衰える場合、最初に忘れるのは人や物の名前「固有名詞」で、だんだん名詞一般におよぶといわれる。最後に「てにをは」とよばれる助詞は残る。だから、名詞部分をポ語で置きかえてコロニア語化していく。
 この場合、本来の母語である日本語で高度な論理思考能力を発達させるよりも時間も労力もかかり、本人は相当に苦労するという。
 というのも、まずは第二言語だったポ語を、感情の微妙なニュアンスまで表現できる母語並みになるまで訓練しなければならず、それと同時並行して、語彙数を増やし、論理能力を付けていく。
 かなりの割合で日本語の方を忘れ、まるで最初からポ語で母語形成したかのように振る舞うようになる。
 でも、後からポ語を母語化した場合と、最初からそうだった場合では、やはり何かが異なるのではないかとも推測される。
 当の本人もどちらの言葉で母語形成したのか意識していない場合も多い。三世世代になると家庭内がポ語になることが大半であり、このような不思議な人格が生まれやすいのは二世世代の特徴と言っても良いかもしれない。
(つづく、深沢正雪記者)



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