ニッケイ新聞 2008年4月9日付け
「次世代ニッパク」始まる――。日本の若者にブラジルでの研修機会を提供するなど、派遣事業を行ってきた日本ブラジル交流協会。〇六年に二十五周年を祝いつつも、惜しまれながら一旦活動を停止していたが、いよいよ再スタートを切った。昨年から軸足をブラジルに移し、「ブラジル日本交流協会」(本部=サンパウロ市、山内淳会長)が事業を推進することになり、五日、「〇八期生」として八人の研修生が着伯。翌六日、サンパウロ市内の同協会事務局建物内で歓迎食事会が開かれ、多数のOB研修生を前に、それぞれが抱負を語った。
同制度は、「両国百年の計には〃人を植え〃日伯の架け橋的人材を育てる」のスローガンをもとに、一九八一年から開始。研修生は約七百五十人にものぼり、ブラジル、日本だけでなく世界で活躍している。
〇六年六月には、以前の事業運営の主体だった日本ブラジル交流協会が事務所を閉鎖。「派遣事業中止」の報が流れ波紋を広げていたが、ブラジル日本交流協会(一九九一年発足)が役目を引き継いだ。昨年、「特別派遣」一人を試験的に日本から迎え入れた。
〇八期生の人物選考は、日本側の研修生OBが担当した。合格者には「日本人として」を共通テーマに、何枚もの読書レポートを課し、合同合宿も実施した。
食事会には、同制度の実質的な創始者の故・斉藤広志初代事務局長の妻、志津さんも駆けつけた。OBやOG、研修先関係者など二十人近くが集まり、若い研修生たちを温かく迎え入れた。
来伯した研修生は、男性二人、女性六人。ニッケイ・パラセ・ホテルで研修する武藤新さん(22・むとうあらた・東京)は、大学を休学して応募。学生主体のNGO団体に所属し、在日外国人の子ども達の学習をサポートするボランティア活動を続けるなかで、ブラジルに興味を持った。趣味はカポエイラ。帰国後は「サッカーや犯罪だけでないブラジルの良いイメージを日本で伝えたい」と語る。
南リオ・グランデ州カシアス・ド・スル市文協で研修するのは、加藤沙帆さん(22・宮崎)。幼少期に父親の仕事の関係で、エスピリト・サント州ヴィトリア市に暮らしたことがあり、「もっとブラジルを知りたくて来た」。研修先では、同文協のイベント開催を手伝うほか、日本語教師や趣味の少林寺拳法、日本文化を伝える。
コマーシャル製作会社に勤めていた内田浩子さん(25・埼玉)は、日系建設会社HOSSへ。昨年七月、八月に撮影のために初来伯してからブラジルが気に入った。「ブラジル人の友人をつくってポ語を学びたい」と笑顔を浮かべる。
秋山優さん(22・群馬)は、バイア州サルバドール市にあり、シュタイナー教育を実践する「アカレント校」で研修。上智大学ポルトガル語学科所属で、初来伯。昨年夏(日本)に、あしなが育英会主催の世界からの遺児を集めたサマーキャンプに参加した経験から、「若いうちにまったく違う国を見たかった」。
大野葉子さん(21・東京)は、サンパウロ州サンベルナルド市役所で研修する。アジア各国を中心に、現地の人たちと家を建てて、自立支援活動をするNGO団体でボランティアをしていた。「けん玉や綾取りを持ってきた。子どもが大好き。日本文化を通じて交流を深めたい」。
大田友世さん(31・鳥取)は二宮正人弁護士事務所、高木芙美さん(27・神奈川)はサンパウロ市リベルダーデ区にあるデザイン会社のプリズマに派遣された。中務雄介さん(21・なかつかゆうすけ・福井)は、YKK・ド・ブラジルで研修する。
朝日新聞ブラジル特派員・石田博士さん(37・協会運営委員・12期OB)は、「今の自分があるのは交流協会でブラジルに来たから。(研修生には)頭の中で〃分かっていた〃つもりの色んなことを体感・実感してほしい」とエールを送っていた。