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子供の心を潰さぬために=情報の洪水に溺れる弱者=親や社会がフィルター役を

ニッケイ新聞 2008年4月16日付け

 十四日の伯字紙に、サンパウロ市北部で先月二十九日に死亡したイザベラちゃん(5)事件直後の供述書の内容が発表されたが、連日の報道のあり方に、改めて、十三日の伯字紙が鳴らした警鐘の意味を考えさせられる。
 イザベラちゃんがアパートの六階(日本風にいえば七階)の窓から落とされ、死亡したとされた事件は、その後の捜査で、窓から落とされる前に首を絞められ、ほとんど窒息死した状態であったことなどが明らかにされた。しかも、父親の「外部の者が侵入して娘を窓から投げ落としたに違いない」という言葉とは裏腹に、アパートには第三者が侵入した形跡はなく、アパート全体をくまなく探した警察も不審者を見出すことは出来なかった。
 これらの状況証拠やアパート住民らの証言から、警察は、事件当時のアパートには第三者はおらず、父親かその後妻(少女にとっては継母)が殺害したと判断し、拘束を求めたのだが、十四日までの伯字紙を読んでも、決定的な物的証拠はまだ出てきていない。
 ところが、切れ切れに入ってくる情報とは怖いもの。テレビのニュースや家族のコメントなどで、父親らに嫌疑がかかっていることや彼らが出頭して拘束されたことなどを知った子供たちが、イザベラちゃんやその母親への同情心を通り越し、精神的に不安定な状況に陥っているという。
 十三日のフォーリャ紙では、母親に「お父さんが自分の娘を殺すなんて、やっちゃいけないことだよね」と何度も繰り返して聞く子供や、「窓の傍には行っちゃいけないんだよね」と教師に言ってくる子供の例が報告され、真相解明もされていないうちに、子供たちの心の中にそれなりの事件像が出来、陰を落としていることが伝わってくる。
 様々な情報に曝され、知らないうちに一つの結論に導かれることで心の安定感を失うことは良くあることで、昨年、都市第一コマンド(PCC)による犯罪が急増した時も、「道に出ていると危ないんだよね」といった子供がいるという。
 このような状況を懸念する心理学者や教育家らは、親や社会が子供たちが接する情報をコントロールすることの必要や、犯人はまだ確定されていないことを知らせ、親や近親者による殺害といった事件はまれなことで、誰にでも起こる類のものではないことなどを話し、子供の心の安定を図る必要を説いている。
 十三日のエスタード紙では、事件や事故で我が子を失い、真相解明も賠償もされていない例は数多いことや、残された家族が負い続ける痛みや悲しみなどについても報じている。