ニッケイ新聞 2008年4月16日付け
〇七年一月十三日に行われた第二回日本語教師認定証授与式で、南大河州のドイツ人植民地から始まった町、イボチ市より参加した高田照子さんから、感動的な逸話が披露された。
「自分はシスターとしてブラジルに派遣され、日本語を教えて欲しいと頼まれた時、どうしてブラジルで日本語が必要なのだろうと不思議に思っていた」という高田さんだったが、当時の司教団長のドン・イヴォ・ローシャイタ司教が日系カトリック青年に対して次のような話をした。
「私はドイツ人の移住者の子孫としてブラジルに住んでいます。自分たちドイツ人の場合、ここはブラジルだからポルトガル語だけ使えばいいというグループと、ここでもドイツ語を忘れないようにと家庭、友人間ではドイツ語、一般社会ではポルトガル語を使おうというグループに分かれました。ドイツ人移住百五十周年を迎えた今(一九七〇年代後半)、ドイツ語とポルトガル語を使っていたグループからは弁護士、医師、政治家など多くの人物がでたが、もう一方はそうでもなかった。あなたたちの祖父母の国である日本の文化を忘れないでください」
百年経って見えてきたことは、「違いを残すから日系人は評価される」という点だ。
今まで見てきたようにバイリンガル教育は、一般の子弟よりも、社会や文化に対してより多角的で深い視線を与える。戦前に「日本人」として幼年期を過ごした多くのバイリンガル二世が、ブラジル社会で成功してきたのは偶然ではない。
子供らが抱きがちなアイデンティティ面、メンタル面での不安定性を補う親の愛情と、バイリンガル環境を維持するコロニアとしての努力があれば、これからも優秀な人材の輩出は望めるだろう。
日本語部分だけを考える従来の「日本語教育」とは違い、現地の母国語との兼ね合いの中でバランスよく二言語話者を育成するという「バイリンガル教育」への取り組みが、ますます必要になってくる。
このようなノウハウを作り上げるには、日系社会側だけでは力不足だし、日本側は日本語部分しか干渉できない。日系コレジオや日本語学校で徐々にその経験が積み上げられているが、メソッドといえるものはまだ生まれていないようだ。
ブラジルの日系社会の日本語教育をバイリンガル教育として位置づけ、日本国内のデカセギ子弟向け日本語教育と連動していく形が取れれば、今後、より効率的な両側の協力体制が作れるかもしれない。
そこには「日本語文化圏」のような考え方で広く包括していく方向性が必要だろう。ブラジル日系人も在日デカセギ子弟も「移住」という一つの枠組みの中で論じる視点を持つことは、日本国内でも百年間の経験を活かせるようになる意味で、両国にとって最大の資産だ。
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一月十五日にサンパウロ市内で行われた日本政府主催の百周年開始式で、ブラジル外務省サンパウロ事務所のジャジエル・デ・オリヴェイラ所長は象徴的な演説をした。
「イタリア系やスペイン系などたくさんの移民が入ったが、多くは同化して根っこ(ルーツ)をなくしてしまった。ブラジルという国は巨大な実験室みたいなものだ。アメリカにおけるアングロ・サクソンのような強力な中核たる存在はブラジルにはない。先祖が持ってきた価値観を失うことを、私は望まない。日本との絆を失わずに維持し続けて欲しい」と力説した。
この意見は、今日の親日的権威筋の代表的な意見といっても良いだろう。事実、今年一月のブラジル外務省の広報によれば、外交官採用試験の第二外国語科目に、昨年まではスペイン語とフランス語だけだったのが、ドイツ語、中国語などと共に日本語も取り入れられた。国家としてその重要性を認めた訳だ。
つまり、現在、六十代後半~八十代の二世が思春期を過ごしたような、厳しい同化主義の時代は終わったと言ってもいい。
新しい時代、多文化主義の今だからこそ日系人は完全な同化をしてはいけない。日系社会の中核には、日本文化を継承する「コロニア」を維持しなくてはならない。それを持ってブラジル文化の創造に貢献するという視点が今こそ必要とされている。百年目の結論とは、実にシンプルなものだ。
「同化」と「統合」という大きな振り子は五十年、百年単位でおおきく、ゆっくり揺れる。日本民族としては初めてのことだけに、成功ばかりではないのは当然だ。でも、いつかはあるべき場所に落ち着くに違いない。
(おわり、深沢正雪記者)
「百年の知恵」=日系人とバイリンガル=多言語と人格形成の関係を探る=□第1部□日系社会の場合(1)
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