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笠戸丸出港から100年=船出の地 神戸で記念式典=皇太子さまら3百人が出席=出港時刻に響いた汽笛=「友情の灯」ブラジルへ

ニッケイ新聞 2008年4月29日付け

 一九〇八(明治四十一)年四月二十八日、移民船「笠戸丸」が神戸港を出港して始まったブラジル移民の歴史が丸百年となった二十八日、記念式典が神戸市中央区の兵庫県公館で開かれた。笠戸丸の出港時刻だった午後五時五十五分には、神戸港に停泊中の船が一斉に汽笛を鳴らし、旧神戸移住センターの屋上で採火した「友情の灯」がブラジルへと送り出された。(神戸新聞社提供)
 ブラジル日本交流年とブラジル移住百周年の記念式典には、ブラジルからも、県出身の移住者や、ブラジル空軍のトップに就任した日系の斉藤準一総司令官らが招かれた。皇太子さまは「日系人の皆さんの地道な努力に対するブラジル社会の高い評価が、両国関係の礎となっている」と話された。
 一方、神戸港のメリケンパークでは夕方、友情の灯をブラジルへ送り出す式があり、移民船「ぶらじる丸」の船長だった川島裕さん(86)=東京都=が「出港用意、よーそろー」と号令をかけた。
 友情の灯は、炎を電気エネルギーに変え、地球儀を模した装置に内蔵して運ぶ。まず市の港務艇「おおわだ2」に載せられ、港内の船の汽笛が鳴り響く午後五時五十五分、岸を離れた。
 ブラジルへは商船三井のコンテナ船が届ける。六月二十一日にサンパウロ市で開かれる日本移民百周年記念式典で炎を披露するという。
 ブラジル移住百周年と日本ブラジル交流年の記念式典は二十八日午後二時、神戸市中央区の兵庫県公館で開かれ、皇太子さまはじめ、ブラジルの上院、下院議員や、外務省がブラジルから招待した日系人ら約三百人が出席した。
 日伯交流年兵庫県実行委員会の主催。両国の友好に貢献した「ブラジル兵庫県人会」と「兵庫県海外移住家族会」の代表者に、井戸敏三知事が感謝状を贈った。
 続いて、皇太子さまは「日系人の皆さんの長年にわたる努力への敬意と、日本人移住者を温かく受け入れたブラジル政府、国民への感謝を忘れず、両国関係を発展させていきたいと思います」と話された。
 ブラジル日本移民百周年記念協会の上原幸啓理事長(80)は、あいさつで「われわれが今の地位を得るまで、異なる言語、習慣という壁や、第二次世界大戦による衝突など多大な犠牲を伴った」と振り返り「(困難なときも)夢を捨てず、祖国への愛情と尊敬の念を決して忘れなかった」と、かみしめるように語った。
 また、ジェラウド・ムーズィ在名古屋ブラジル総領事は「ブラジルの日系社会が百五十万人にも発展し、一方の日本にもブラジル人三十二万人余りが居住している」と指摘し「日本とブラジルの関係は家族的なもの」と日本語であいさつした。
 式典に続いて神戸市内のホテルではレセプションが開かれ、井戸知事が「ビバ、ブラジル」と音頭を取って乾杯した。南米の日系社会で「歌姫」と呼ばれ人気がある演歌歌手井上祐見さんが登場し、「ソウ・ジャポネーザ」を披露した。

神戸=移住センター改修着工=「友情の灯」採火式も

 【神戸新聞二十八日】新天地ブラジルを目指す第一回の移民約七百八十人が、笠戸丸で神戸を出港してから二十八日で丸百年。戦前、戦後を通じて約二十五万人に上る移民が渡航準備をした旧神戸移住センター(神戸市中央区山本通三)では二十八日午前、保存のための改修着工を宣言する式典があった。屋上では、ブラジルへ送る「友情の灯」を採火した。
 同センターは一九二八年、移民収容所として建てられた。ブラジルはじめ中南米への移民が全国各地から集合し、約一週間、渡航準備をした。七一年に閉鎖。国内に唯一残る移民関連の施設だが、老朽化しており、ブラジルの日系団体などが保存と活用を要望していた。一年をかけて改修し、来年五月末からは「移住ミュージアム」などとして活用される。
 式典には約百人が出席し、矢田立郎神戸市長が着工を宣言。八歳で沖縄県から神戸経由で移住した上原幸啓・百周年協会理事長(80)もブラジルから駆け付け「ここは、懐かしいわが家とも言える場所。本当にうれしい」と喜んだ。
 続いて、日伯協会の上島達司副理事長が「友情の灯」を採火。凹面鏡で太陽光を集め、火をともした。 (黒田勝俊)