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ブラジルの友人、知人を忘れず=元技術移民・飯井沼さん夫妻=「再会」目的に来伯=20年ぶり、余裕ができて

ニッケイ新聞 2008年5月3日付け

 一八〇三年に日本人として、初めてブラジル(サンタカタリーナ州フロリアノポリス市)の地を踏んだ宮城県出身の四人。今年、日本人移民百周年などを記念して、宮城県人会(中沢宏一会長)は、その足跡を辿る旅を三月二十日から二十五日まで行った。約四十人の参加者の中に一風変わった夫婦も参加していた。飯井沼健治さん(67、千葉県出身)と幸恵さん(70、広島県出身)夫婦だ。
 飯井沼さん夫妻は、一九七三年に第一回の技術移民(日本電信電話公社・元勤務)として、飛行機で移住。移住後二年間は、ミナス州を中心にさまざまなところで、仕事をした。
 七五年に電信電話公社の仕事を辞めて、サンパウロ市リベルダーデ区にすし屋兼バール「柏屋」を開業。健治さんは、移住前に「手に職をつけておいたほうが良い」との考えから、幸恵さんの実家で寿司職人の修行をしていた。
 「柏屋」の名前は、二人が出会った千葉県にある柏駅から取ったもの。
 しかし、八八年に幸恵さんの両親が病気になったために帰国し、住居を千葉から広島へ移した。健治さんは、帰国後、運転手、電気屋、外国船のコックなど職を転々とした。
 「時間的にも、経済的にも余裕ができたために、思い切って旅行に出た」と理由を話す。今回は、日本に帰国してから初めてのブラジル訪問であった。
 今回の旅は「再会」をテーマにブラジルを訪れた。「いろいろな人と再会できたけど、この人にはぜひ、と望んでいた人には会えなかった」と少々残念そうに話した。
 アラスカ、カナダ、アメリカを訪ねた後に、〇七年八月にブラジル入り。その後、マナウス、ポルト・アレグレなどに脚をのばした。オーストラリア、パプアニューギニアなどをゆっくりとまわって、日本へ帰国する予定だ。
 最後に「八八年に日本に帰ったあと、ブラジル国内の友人たちから、ぜひまた来いといわれていたが、なかなか果たせなかった。今回、多くの人と再会し、また新しい出会いができたので良かった」と嬉しそうに話した。