ニッケイ新聞 2008年5月8日付け
水野龍の精神伝えたい―。コロニアでも人気の高いNHKの歴史情報番組「その時歴史が動いた」(四十三分)で、「移民の父」といわれる水野龍が登場するにあたり、中根健プロデューサーと江川治朗カメラマンが四月十三日来伯、サンパウロ、サントス、クリチーバ、リメイラの四カ所で取材・撮影を行なった。副題は、「移民は共存共栄の事業なり~ブラジル移民開始の時~」。約九年続く同番組でブラジル関連の人物が取り上げられるのは初めて。ブラジルでの放映予定日時は、六月十九日午前十時四十五分(日本時間十八日午後十時)からとなっている。
「百周年を機に何とかブラジル関連の人物を取り上げたかった」という中根プロデュ―サーは、水野をその題材に選んだ理由に、「ブラジルへの殖民事業は『共存共栄』という平和的なもの。当時、日本が大陸で武力を以って行なった殖民地政策とは異なる。〃山師〃との捉えられ方もあるが、自身も移民となっており、水野がいなければ、今の日系社会はない。始めた人の理想から何かが学べるのでは」と語る。
中根プロデュ―サーは、日伯交流協会の十期生として、九〇年にサンベルナルド・ド・カンポ市役所で研修。NHK入社後の九八年、ブラジル在住の映像作家、岡村淳さんを取り上げたドキュメンタリー「第二の祖国に生きて」の制作にも携わり、日本移民九十年祭の取材も行なったコロニア通だけに思いは熱い。
サントスでは、笠戸丸が着岸した十四番埠頭を撮影、クリチーバでは、息子龍三郎氏に父親を語ってもらい、水野の日誌も紹介しながら、その人物像に迫る。
一八〇〇年代から続くリメイラ市のコーヒー農場では、鈴木貞次郎、三浦荒次郎通訳官を伴い、笠戸丸移民の配耕先を視察するシーンを撮影。
サンパウロでは、笠戸丸移民の四世にあたる女性に取材、「この国は私たちを受け入れてくれた」との言葉を聞き、「共存共栄の理想の結果を感じた」。
帰国後には、在日ブラジル人学校の撮影を予定している。「笠戸丸移民から百年。日本は外国人をどう受け入れているのかを問いたい」と力を込めた。
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水野龍(一九五九~一九五一)=高知県出身。一九〇六年にリオを訪れ、当時の杉村濬公使の協力を受け、サンパウロ州内の主要耕地を視察。〇七年に再び渡伯し、同年十一月にサンパウロ州政府との間で日本農業移民導入契約を締結した。この契約は翌一九〇八年六月の第一回日本移民船「笠戸丸」として結実、ブラジルへの日本移民の道を開き、「移民の父」とも呼ばれる。