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「僕たちも移民です」――保見が丘のパウロ・フレイレ地域学校で――=百周年を記念して文集発行(上)=デカセギ子弟の揺れる想い=「移民」「笠戸丸」は確実に浸透

ニッケイ新聞 2008年5月16日付け

 【愛知県豊田市発】「そして八十年代にまた移民たちが日本へもどり、新しい移民になった」「おねがいです。絶対にあなたの子供や家族と離れないでください」「わたしは今、移民のいちぶです」。愛知県豊田市保見ヶ丘のパウロ・フレイレ地域学校(エコパフ、ジョゼリア・ロンガット・フィジオ校長)で、ブラジル移民百年をテーマした作文や詩、習字、絵などが収められた文集『NOSSAS RAIZES 私たちのルーツ』が作成され、このような興味深い文章が並んだ。移民の歴史は過去のものではない。百年前にブラジルに向かった移民の流れは方向を変え、現在日本に向かって続いている。日本に住むデカセギ子弟の文集の行間からは、日本とブラジルの間で揺れ動く切ない気持ちがにじみ出してくるようだ。(秋山郁美通信員)
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  エコパフでは、普段の授業においても移民について触れる内容が取り入れられてきた。国語ではNHKドラマの「ハルとナツ」を題材に読み取りや漢字の勉強を、社会では移民の歴史や自分の家族について学ぶという取り組みが行われている。
 また、授業以外でも生徒全体が「シズオカ」「リベルダーデ」「トヨタ」の三チームに別れて大きなポスターを作成したり、ゲームをして点を競うという活動も行われ、「移民百周年」というキーワードは確実に子供たちに浸透している。
 その活動の集約と、彼らが移民の子孫として表現した作品、述べ約二百点がこの文集の中で輝いている。
 幼児クラスの三歳の子供から初等教育、小学校へ通いながらエコパフでポ語を勉強している「カンチーニョ・ド・サベール」クラス、青年・成人ポ語クラスまでの総勢約八十人の作品が収められ、作文などにはすべて子どもたちの手によって日本語訳が付けられた。
 まだ字が書けない幼児クラスは、先生が子どもたちの話を聞き取り、話した様子そのままに残された。
 「ある日、うみにいたかさと丸、ブラジルに行く人をむかえに行きました」(サトウ・ミシアノ・マテウス)。
 「にほんじんはブラジルにいきたかったりゆうはカフェのみをまいておかねをたくさんもって、そしてにほんにかえってそれからあたらしいいえをかってたくさんコーヒーをのんでおおきくなることでした」(オバナ・リベイロ・ジジ・アイコ)。
 「日本人たちはブラジルにはたらきにいきました。お金をかせいで食べ物とおもちゃを買うためにカフェをうえました」(ワダ・ガブリエル・マサヒロ)
 幼児らしいかわいい誤解もあるが、『笠戸丸』は彼らの中で船の代名詞になっているようで、ほぼ全員の文に出てくる。
 初等クラスになると、それぞれの家庭で聞いた話や、自分の先祖など、移民を身近なものとしてとらえる児童も多くなる。
 「父と母は一九九三年三月十三日にとよたにすみにきました。しごとをするためにきました」(ミウラ・ダイキ)。
 「一九三〇年ぼくのおばあちゃんがブラジルに行きました。まだ子どもでした」(ウエハラ・ジュリオ・セサル)。(つづく)