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五木ひろし来伯公演を断念(下)=経緯知らず困惑する日本側=「北川氏の独断専行の結果」

ニッケイ新聞 2008年5月28日付け

 小西良太郎氏は松尾治執行委員長に宛てた四月二十四日付け書面で、「五木氏が群衆の中に埋没し、どの程度のご紹介がいただけるかも不明なまま、その存在すらはっきりしない状態の取り扱いでいいのかどうか? 何はおいてもご要請に応えなくては…と馳せ参じる五木氏の思いや役割は、それで満たされ、果たせることになるのかどうか? 五木氏には応分のプライドもありましょう」と根本的疑問を呈している。
 その上で、「五木氏参加の意味や意義が明確になるお取り扱いを再考して頂けるのかどうか、それとも今回の件そのものを白紙に戻す決定をして頂いた方がいいのか改めてご討議いただけますようお願いしたいと思います」と最後通牒を突きつけた。
 本番二カ月前の段階で日本側がこのように困惑している原因に関して、石井久順氏は「大物政治家に二度目にお願いした以降の経緯を、五木プロはまったく知らなかったからだろう」と推測する。窓口だった北川彰久氏の情報を一方的に信じ、〇七年二月の「要望書」の内容が変更された本当の理由を、日本側は知らされていなかったようだ。
 同二十四日の百周年東京式典の後、松尾氏は小西氏に直接に会って話をし、パラナ州百周年委員会での五木ひろしの扱いを確認してから連絡すると答えた。
 四月末ごろ、小西氏は北川氏に宛てた書面で、松尾氏と直接話した件に触れ、「これ(コーラスの一員)では五木氏を参加させるわけにはいかない…というのが、僕の判断です」と苦渋の判断を繰り返す。
 さらに「大体において、開催まであと一カ月半という今日、契約もされず、したがって開催告知もチケット販売もされていないコンサートが成功するかどうか、本当に四千人の客が集められるのかどうか、常識ではとても考えられない事態とも思います」と怒り心頭の様子で書いている。
 帰伯一週間後、松尾氏は小西氏に電話をし、「マイクは持たないがコーラスから出て据え付けマイクのまえで歌ってもらうことになるでしょう」との譲歩案を説明した。それに対し、小西さんは「半年前にその話をしてほしかった」と答えたという。
 その直後とみられる五月一日付けで五木プロの寺本社長が北川氏にEメールで「差し迫った時間の中、私としてはこのような状況では五木ひろしを行かせる訳にはまいりません」と明確な断りの意思表示した。
 それでも最後の望みを託して訪日した北川氏は、十五日に寺本社長と小西氏と会ったが、すでにキャンセル済みとの判断を知らされただけだった。
 北川氏から二十日にブラジルNAKに入ったFAXによれば、「私がどんなに頼んでも聞き入れて頂けず、おまけに寺本社長は、五木氏はもうその時期に仕事のスケジュールが入っていてもう断れないと云っています。よほどハラが立っておられるのか五木氏も自分も二度とブラジルには行かないとまで云っておられました」と書いてある。
 北川氏は同FAXで、松尾氏が三月に出した「コーラスの一員で」という文書が原因で訪伯中止になったと糾弾し、「この手紙さえなければ五木氏は来ていました」と書く。
 ただし、昨年中頃まで一緒に五木ひろし来伯公演に献身的に協力し、この間の経緯をよく知っているブラジルNAKの顧問だった石井さんと羽田宗義(元県連会長)さんは「北川氏の独断専行が今回の結果を招いた」と口を揃える。いわば身内でありながら「今年、知らないうちに顧問をはずれていた」という。
 大物政治家を紹介したのは石井氏だが、北川氏は二回目の時に一人で会いに行った。「全く知らされていなかった」と怒る。「昨年四月に、総領事館とせっかく〃手打ち式〃をやって『これからは正式なルートを通して』と念を押した矢先にまたやった。これでは外務省が怒るのも無理はない」と一刀両断にする。
 松尾氏の手紙がキャンセルのきっかけだとしても、そうならざるを得ない硬直状況を作り出した本当の原因は別、との認識だ。
 羽田氏も「もう少しみんなと相談しながらやっていれば違った結果になったはず。まったく残念だ」と無念そうに声をふるわせた。
 援協、憩いの園、希望の家などの福祉団体や、間部学美術館建設構想などを支援するために、毎年カラオケ大会を開催してコロニアのために尽力してきた北川氏を慕う声は多い。
 しかし、今回に関してだけは少々事情が違っているようだ。 (おわり)



五木ひろし来伯公演を断念(上)=ブラジル側不手際に翻弄され=「二度とブラジル行かない」