ニッケイ新聞 2008年6月3日付け
6月はフエスタス・ジュニーナで祝祭が多い。24日のサンジョアン祭りは、焚火祭りで国民的な大祭になっている。サンパウロ奥地のピラポジ―ニョの火祭りは、ユ―カリで高い塔をつくり火を放っての大騒ぎだそうな。こうしたカトリックの宗教行事を移民の父・上塚周平は知っていたらしい▼笠戸丸の移民監督としてサントス港14号埠頭に着いた周平は俳句を好み瓢骨と号しブラジルで初めて俳句を詠んだとされる。笠戸丸の甲板?で3句を詠みその一つが「ブラジルの初夜なる焚火祭りかな」。今から100年も昔の6月18日のことだから―ただただ恐れ入る▼あれから1世紀―第1回移民の生存者はなく、先ごろは厳島丸で荒波を乗り切ったお婆ちゃんが黄泉へと移民は日に日に減って行く。そんなマカコ・ヴェ―リョらが辿った道に想いを馳せながら海岸山脈をサントスの厚生ホ―ムへ。旧移民の家の敷地に建てられたこの施設でお年寄りたちが、今―明るく暮らしている▼この日は料理人が海の幸を捌き昼食を共にしながら世間話に華を咲かせようの集まりだったが、このホ―ムにいる高齢者も1世が多いのは、やはり時の流れか?。お爺ちゃんとお婆ちゃんが、刺身や煮付けを口に運ぶ仕草がなんとも微笑ましい。カラオケでわたしにマイクをと壇上に急ぐ人や会場に響く太鼓と日本舞踊を楽しみながら語る故老の苦楽はオ―ラルヒストリ―そのもので真に愉快な日曜日であった。(遯)