ニッケイ新聞 2008年6月18日付け
土佐人の進取の気性で一世紀――。ブラジル高知県人会(高橋一水会長)は十五日、サンパウロ市内の同会会館で「高知県人ブラジル移住百周年、県人会創立五十五周年」の式典を行った。式典には尾崎正直県知事をはじめとする母県からの慶祝団、会員、関係者など約二百五十人が参集し、にぎやかに節目の年を祝った。
笠戸丸移民を引率した水野龍(皇国殖民社長)に始まり、下元健吉コチア産組専務理事、中沢源一郎スール・ブラジル農協理事長など、コロニア史を飾った幾多の人材を輩出してきた高知県。
高知県からは戦前戦後を通じて約四千人が移住。県人会員は約三百人で、今回の知事来伯を機にパラナ支部(会員二百人)が発足することが決まっている。
式典にあたり母県からは知事、浜田英宏県議会副議長、県農協中央会、県南米移住家族会、高知新聞社代表を含む三十一人の慶祝団のほか、パラグアイ、アルゼンチンの県人会からも代表者が出席した。
式典名誉総裁を務めた羽藤ジョージサンパウロ市議、丸橋次郎首席領事、西林万寿夫総領事ほか、高知県いの町と姉妹都市のコチア市の関係者なども来賓として訪れた。
式典に先立ち午前九時から、約百人が出席して開拓先没者慰霊法要。午前十時から記念式典が行なわれた。
高橋会長は、長年留学生、研修生を受け入れてきた母県に感謝の意をあらわした。さらに、「百年前に水野龍が笠戸丸移民を企画しなければ、今日の式典もなかった」と述べ、下元、中沢氏ら県出身者がコロニア発展に果たした功績を称え、「今日の式典は同じ高知の人間がふるさとを思う気持ちがあってこそできた」と関係者へ謝意を表した。
尾崎知事は、県出身移住者が残した足跡に敬意を表すとともに、「高知県は今、経済、教育などの面で厳しい状況にありますが、百年前、異なる環境の中で苦労した先人の力強さを県でも伝える取り組みを進めていきたい」とあいさつ。また、エタノールはじめ各分野で県とブラジルの交流を進めていきたい考えを示し、「次の五十年を切り開くため、県人会に県とブラジルの架け橋になってほしい」と述べた。
浜田副議長が西森潮三議長の祝辞を代読。議長は「移住した県人は土佐人気質である進取の気性を発揮して困難を克服し、日系社会に確固たる地位を築いた」と称えた。
市議会から知事に記念プレートを贈呈。知事から片山覚久美県人会相談役ら八人に功労賞、百二歳の山崎正子さん(オザスコ市在住)はじめ九十歳以上の会員高齢者に記念品が贈られた。式典後は祝賀昼食会が開かれ、出席者は婦人部の手料理を囲んで歓談した。
舞台では芸能やカラオケのほか、祖父母が高知県出身の中平マリコさんも自身の歌「歩み続けて百年」などを披露した。
財政難の続く高知県人会では、現在、会館を売却する方向で検討を進めている。副会長の大崎康夫さんは「会員の高齢化が進んでいるので、これからはもっと若い世代に入ってもらいたい」と話す。
「ここで周年式典をやるのは最後かもしれませんね」と話す高橋会長は、「婦人部の皆さんにも『最後の奉公』と頼んで高知の料理を用意してもらった。今日はこれだけ集まって、研修生OBからも寄付があり、会に関心があることが分かりました」と盛況を喜んでいた。