ニッケイ新聞 2008年6月19日付け
幕末の志士で明治維新の礎石を作ったといわれる、坂本龍馬(1836―67)の精神を学ぼうという龍馬会のブラジル支部発足式が十四日夜、サンパウロ市のニッケイパラセ・ホテルで行われ、約四十人が集まった。
日本の全都道府県はもとより、米国、フランス、ドイツなどにも支部が発足しており、今回ブラジルが加わったことにより全部で百二十六支部になった。
初代会長は谷広海氏。顧問に高木ラウル氏。世話役に浜田照夫、高橋昭両氏が就任した。
父親が高知県出身の谷氏は就任の挨拶で、「宮崎県で子供の頃、オヤジによく高知会に連れて行かれた」との縁があると説明。マセイオに移住したときにも司馬遼太郎の書いた坂本龍馬伝を携えて、何度も読み返していた若い頃のエピソードを披露し、なんらかの龍馬伝をポ語に翻訳して出版することを今後の目標として発表した。
日本から出席した木谷道宣・日本ウオーキング協会副会長は発足の喜びをのべたあと、「二十一世紀の龍馬を生み出す夢をみなさんと共有したい」と呼びかけた。岡﨑誠也・高知市長のあいさつ文が「龍馬の精神が世界に広まっていくことは意義深い」などと代読された。
最後に、来伯した全国龍馬会社中の橋本邦健会長は「龍馬は〃世界の海援隊になりたい〃と生前言い残し、三十三歳の若さで亡くなった。今回、移民船の着いたサントス港を見ていて、『おまん、生きちょったら、南米ならサントスだったろうね』という想いがしみじみ湧いてきた」との感想を語った。
橋本会長は、それまでなかった龍馬資料館を高知に、という運動を始めて、資金集めに全国を二回りも行脚し、不可能といわれていた十億円の寄付を集めた。その過程で、理解者から龍馬会を作る話がでて、どんどん増え、現在のようになった。三年がかりで国土交通省に通い詰め、初めての人名空港「龍馬空港」も実現、続いてNHKに働きかけて二年後の大河ドラマに採用されることになったという。
「いよいよ、龍馬の風が吹いている」と締めくくった。
小山昭朗ブラジル・ニッポン移住者協会会長の音頭で乾杯し、参加者は龍馬への想いを語り合った。
岩手県人会五十周年に参加するために、たまたま来伯していた高橋雪文岩手県議も発足式があることを聞きつけて途中から出席し、「私も岩手龍馬会に参加している。これも龍馬が引っ張ってくれた奇縁。今後も盛りたてていきたい」と語り、拍手を浴びた。