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移民の日=サンパウロ市で先駆者慰霊行事=仏連=アニェンビーで追悼法要=しめやかに先人の苦労偲ぶ

ニッケイ新聞 2008年6月19日付け

 第一回移民船・笠戸丸がサントス港に到着してちょうど百年となる六月十八日。仏教連合会(佐々木陽明会長)の開拓先亡者追悼法要が「移民の日」の同日午後一時から、日本週間会場のアニェンビー国際会議場でしめやかに営まれた。一階席の大部分を埋める千人以上が参加し、それぞれが先人の苦労を偲んだ。
 ブラジルいけ花協会、邦楽美和会、筝曲宮城会、尺八都山流により「献茶」「献花」「献楽」が披露されたあと、仏教婦人会らのコーラスにあわせて稚児、諸僧、佐々木陽明導師が入場。同導師がパーリ文を復唱、敬白文を述べたあと、各宗派代表者が追悼の歌にあわせて焼香した。
 追悼の辞で、山下譲二文協副会長は、「多くの日本人が夢と希望をもって渡伯し、過酷な自然環境と戦い筆舌に尽くしがたい困難に立ち向かった。その苦労と夢半ばに亡くなった先人に思いを馳せると万感胸に迫る」と述べた。
 丸橋次郎在サンパウロ首席領事は「今日の日系社会の信頼は、(先達移民の)血と汗と涙のうえに築かれたものであり、心から感謝と敬意を示したい」。千坂平通JICAサンパウロ支所長は「質素倹約に子弟の教育に励まれたことは開拓者の使命を立派に果された」と語った。
 また菊地義治援協副会長は、同協会創立の歴史を振り返ったうえで「先輩移民の方々の勤勉さと教育への熱意、相互扶助などの精神的遺産とともに、新しい百年の日系社会の福祉・医療向上に努めていく所存」と決意。松尾治移民百周年協会執行委員長は「日本人は子弟の教育に励んできた。今後三世、四世の世代が日伯両国の交流のパイプとなることを期待したい」とした。
 読経にあわせて一般焼香がおこなわれ、それぞれが舞台前に列をなして並び、手をあわせて先人の苦労を偲んだ。
 法話で佐々木陽明導師は、「皆様には先輩の苦労を心に思いおこす丁寧なご焼香をして頂き、感慨無量。先輩移民やブラジル国民にただ有難うと言うのではなく、自分ができることは何かと思い巡らせ、今後日本とブラジルが親子・兄弟・仲間のようになるよう行動し、生きて頂きたい」と述べ、法要を締めくくった。

司牧協会=厳かに先駆者慰霊ミサ=千人がセー大聖堂埋める

 日伯司牧協会、ブラジル日本文化福祉協会による「移民の日」先駆者慰霊ミサが十八日午前九時から、サンパウロ市セー広場のセー大聖堂(カテドラル)でしめやかに営まれた。百周年の今年は例年よりはるかに多い一千人が会場を埋め、日系社会の礎となった先人へ感謝し、日本移民一世紀の節目を祝うとともに、新たな百年へ思いを新たにした。
 例年はジョン・メンデス広場のサンゴンサーロ教会で行なわれている移民の日の慰霊ミサ。大聖堂での慰霊ミサは移民五十周年の一九五八年に始まり、以後十年の節目ごとに行なわれている。
 丸橋次郎首席領事、松尾治百周年記念協会執行委員長ほか、文協はじめ各日系団体から代表者が出席した。
 午前九時過ぎ、ドン・オジロ・ペドロ・サンパウロ管区大司教と、沖縄から来伯した押川としお司教によりミサが開始。 八人の司教が並ぶ祭壇に向かい、司牧協会の人たちが、日伯両国旗、バチカンの旗を掲げて入場した。
 ドン・オジロ大司教は「今日の日は、日系社会だけでなくブラジル社会にとっても輝かしい瞬間」と祝福の言葉を述べた。続けて「笠戸丸移民が夢と希望を胸に新天地へ渡ってから百年、日本移民は長年にわたり共同体を創りあげるとともに、ブラジル国家の建設に参加してきた」とし、「その勇気と創造性、ブラジル社会への貢献を称えたい」と述べた。
 日系団体代表ら六人が、日ポ両語で共同祈願。在日ブラジル人の幸せ、日系社会先駆者への感謝と、その貢献が次世代へ引き継がれていくことを祈願した。
 続いてブラジルでの布教活動に生涯を捧げた中村ドミンゴス長八神父の写真を先頭に、農業の貢献を象徴する野菜、日本文化を表す生け花などが次々と神に捧げられた。辞書や、医師・技師に扮した人物が教育への熱意と成果を表し、情報技術産業での活躍を表すパソコンなどもあった。
 聖体拝領で司教から列席者にパンが配られた後、一同で百周年を祝福する祈りを唱和。約一時間半でミサは終了した。
 「百周年で先祖の方たちを思って祈りました」と話すのは、ミサを訪れた貝沢キヨ子さん(サンパウロ市在住)。「日本からも司教に来ていただき、とても嬉しかった。すばらしいミサでした」と感想を語った。
 元文協会長の山内淳さんも「これほど大勢来るとは思っていなかった。こんなのは初めて。立派なミサでした」と話す。
 司牧協会の真里谷ドミンゴスさん(81)は「これだけたくさんの方に来ていただけるとは予想していなかった。百周年の節目ということで皆さん参加してくれたと思います」と嬉しそうな表情を見せていた。