ニッケイ新聞 2008年6月20日付け
百周年を記念して日系研究者協会(新山ススム会長)が主催した「日伯交流シンポジウム2008」が十四日午前、サンパウロ市のアニェンビー国際会議場(日本文化週間会場)で開幕し、竹中平蔵慶応大学教授(元総務大臣)が日伯経済関係をテーマに基調講演した。また前夜にはサンパウロ市ホテルで、ブラジル日本商工会議所(田中信会頭)と同協会が共催して竹中氏の講演会も行われ、約二百人が詰めかけた。分かりやすく、かつ鮮やかに今後の日伯関係を描く語り口に、どちらの講演でも大きな拍手が送られていた。
シンポジウム開会式で西林万寿夫在聖総領事は、前回、竹中氏が総務大臣として来伯した〇六年はデジタルTV方式の調印式だったことを振りかえり、「ブラジルで高速鉄道構想が浮上しており、新幹線方式が採用されれば日伯関係の新しいシンボルになる」との期待感をのべた。
ウイリアム・ウー連邦下議も「私も日系議員として新幹線方式採用に向けて精一杯働きかける」、飯星ワルテル連邦下議は竹中氏を「日本におけるブラジル担当大臣」と位置づけ、「新幹線方式に協力する。このシンポが日伯関係の次の百年に向けた方向性が打ち出せれば」と語った。
■小泉氏は特異な首相■
基調講演で竹中氏は、まず「今日は学者として思う存分語りたい」と切り出し、〇四年の小泉首相(当時)来伯を振り返り、「みなさんが百年間ブラジルの地で血のにじむ苦労をされ、今日を築かれたことに深い感慨をおぼえ、涙を流されたと思う」と語り、自らが〇一年から〇六年まで閣僚として支えた小泉首相が強いリーダーシップを持った特異な首相で、目標を達成できない大臣には厳しい発言をする人物だったことを強調した。
日本経済はこの百年間で、一人当たりGDPが十一万倍になり、物価は三千倍になったので、差し引きした実質所得は三十五倍になったと説明し、「世界史上の大発展を遂げたことは間違いない」とした。毎年七%ずつ成長すると十年で経済規模は二倍になるが、高度経済成長期には一〇%成長を記録した。
戦後日本の発展システムは、国民が銀行に貯蓄した資金が、企業の設備投資に貸し出され、欧米の最新技術を導入するサイクルができ、投資が投資をよぶメカニズムになっていたという。
七〇年代にあった二回の石油危機の時、ブラジルはサトウキビによるエタノールという代替えエネルギー開発という大胆な発想で乗り切ったが、日本は省エネ技術を発展させた。
八〇年代も日本は勢いが続き、四・五%ずつ成長。九〇年ごろにバブル経済崩壊に直面し、「失われた十年」を迎えた。当時の日本政府は国債をどんどん発行し、十年間で百三十兆円もの公共事業を行ったが、一%成長しかしなかった。「痛みの伴う銀行の不当債権処理を後回しにする誤った経済運営だった」。
〇一年に発足した小泉内閣では内閣府特命担当大臣としてまず、不良債権処理を進め、失われた十年を終わらせた。「公共事業を減らしたにも関わらず二%強の成長が戻った。改革すれば日本経済は良くなる。しなければ、厳しい世界経済の競争におされる」。
■日伯の奇妙な類似点■
一方、日本から見えるブラジル経済に関して、六〇年代後半からが「奇跡の十年間」、その後八〇年代に「失われた十年」を経験しているという日本経済との「奇妙な類似点」があると分析した。
ブラジル経済の特徴として、「日本からみて脅威的な航空機産業を持っている」「国全体がトータルに代替燃料(エタノール)政策を進めて、技術開発して定着させたことは世界に類を見ない」などを挙げ、「非常に戦略的である」という。
エンブラエルの成功は自身が大臣時代に遂行した郵政民営化同様に、民営化、自由化の成果であると考え、「日本は過去の成功体験を大切にし、日本的経営に固執する傾向がある。両国は補い合えるものがある」とする。
日本経済の抱える課題として「経済成長を二・五~三%まで高めて成長軌道にのせる」「高齢化して税収が減るので、民間に可能な事業は民営化して小さな政府にする」「空港、金融、情報などの点でアジア太平洋の玄関国家になる」「人を惹きつけるソフトパワー国家を目指す」「日本が世界に誇る環境技術が世界に普及すれば六七%(京都議定書の目標は五%)もの二酸化炭素排出削減が可能になる」「高齢化に伴い二〇一〇年頃から始まる世界的な観光ブームに備える」などを挙げた。
■今後の発展への提言■
まとめとして今後の日伯関係への期待として、「通常の外国と違い、ブラジルでは日本製品より日系人の存在感が強いので日本に対するイメージができている。まだ市場進出する余地が大きい。今こそ失われた十年を取りもどしてブラジルに進出する好機」「両国間の知的交流を今までより数倍高める努力必要」「デジタルTV技術を核にした新たな協力関係を模索する」「ブラジルの進んだバイオエネルギーを日本は学ぶべき」「環境分野での技術協力」「日系人が知恵を出し、ブラジルの文化を味わえる観光ルートの開発する」などの点を提言した。
最後に、明治の偉人の一人として『武士道』をあらわして世界に日本の精神を説明した新渡戸稲造を挙げ、カナダ・バンクーバーの石碑にある「願わくば我太平洋の架け橋とならん」との文言を紹介し、それ以前に笠戸丸でブラジルに渡った日本移民は「我世界の架け橋とならん」という想いで渡ったのでは、と想起し、会場に集まった二世研究者らに対し、「地球の架け橋になられたみなさんのご先祖に敬意を表します」とのべて締めた。
■忌憚のない質問飛ぶ■
質疑応答では矢のように質問が飛んだ。
デジタルTV方式採用と半導体工場設置の関係について問われ、「ブラジル政府が様々な部品を日本企業に作ってほしいとの要望があることは承知しているが、工場設置に関しては企業に判断してもらわないと。そのためのタスクフォース(専門チーム)は作ってあり、話し合って良い結果を生むシステムは作られている」とした。
また、日本はエタノールを輸入するのかとの問いには、「まずガソリンスタンドなどのインフラを作らなければならない。それには時間がかかる。でも、ブラジルのシステムを日本が採用することは充分ありえる。いまは小さな実績を作っている段階」と推測した。
さらに「食料危機とエタノールの関係についてどう思うか」との問いに、「短期的問題と長期的な問題に分ける必要がある。エタノールは長期的に必要であることは間違いない。食料価格上昇は短期的問題であり、起きている原因をしっかり見つめる必要がある。現在は価格が上がると生産者の収入が増えるために、増産につながらない仕組みになっている。供給側を強くする取り組みが必要だろう」と答えた。
約一時間半の基調講演を終えるにあたり、新山会長は「世界的な視野から明確なビジョンを提示してもらい、本当にありがたい。ブラジルが世界に貢献していくにあたり、日系人が果たすべき役割があることを再認識した」と感謝した。
再びマイクを握った竹中氏は「これを始まりとし、皆さんとの交流をライフワークにしたい。毎年私や、私の仲間が訪れることを実現していきたい。必ず成果を出すことをお約束させていただきたい」と力強く語り、会場からさらに大きな拍手が送られた。
同シンポジウムは十六日まで三日間行われ、日伯の経済・科学・医学などの著名人、専門家が十テーマに分かれて議論した。