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サンパウロ市=百周年式典、盛大に挙行=6世優太君「友情の灯」点火=皇太子さまもじっくりご覧に

ニッケイ新聞 2008年6月24日付け

 多くの人の心配を見事に裏切り、二十一日午後四時半からサンパウロ市のサンボードロモ会場で、この百年間を象徴するようなダイナミックな百周年記念式典が執り行われた。あいにくの雨模様だったが、会場には約三万人が詰めかけ、日伯友好にとって歴史的な式典の目撃者となった。千人太鼓や三千人のコーラスなども披露され、迫力のある出し物に、惜しみない拍手が送られた。それを証明するかのように、ご滞在予定時間を三十五分間もオーバーしながらも、皇太子さまは終始笑顔を浮かべて興味深そうにご覧になった。
 予定を三十分早めて開始された祭典が昼の十二時半から開始された。千三百人のラジオ体操を先頭に、沖縄太鼓、南中ソーランなど次々に出し物が披露された。
 午後四時半、時間通りに到着された皇太子さまの乗ったお車は、細長いサンボードロモ会場を歩く速さでゆっくりと行進し、大きな拍手で迎えられた。
 続いて、神戸市の旧移住センターから送り出された友情の灯火をもったランナーが会場に入ってきた。サッカー代表のカフー選手、個人最多メダル保持者の卓球のウーゴ・オヤマ選手、柔道で金メダルのアウレリオ・ミゲル現サンパウロ市議ら名だたる有名選手や、各人種を代表するランナーが交代で友情の灯火をもって、点火台に近づくと、突然、爆音を響かせながら四機の空軍機が百周年式典会場上空を横切り、会場にあつまった約三万人の度肝を抜いた。これは、慶祝のために空軍が特別に協力してくれたもの。
 ランナーから火を受け取ったのは、大西三郎さん(73、京都出身)夫妻と六世の孫、優太くん(3)の三人。三郎さんが点火、一世から六世までを象徴。大西さんの息子が五世女性と結婚したため、孫が六世となる。
 最初にあいさつしたのはブラジル日本移民百周年記念協会の上原幸啓理事長で、「私の人生でもっとも感動的な一瞬だ」と胸中をのべ、「連邦政府、州、市すべての協力があったからここまでできた。新しい歴史が始まった」とし、受け入れてくれたブラジル社会への感謝の気持ちを繰り返した。
 次にカサビ市長は「今日のサンパウロ市は日本人の努力なしにはありえなかった」と高い評価をし、「市を代表して日本人と日系人に心からの敬意を表明する」と語った。
 皇太子さまは、雅子さまにもブラジル政府からの招待状が送られていたが来られなかったことに触れ、「心からのお祝いの気持ちをお伝えしてほしいと申しておりました」と代弁された。
 ブラジルには百五十万日系社会があり、日本には三十万人のブラジル人が住んでいることに触れ、「百年前には想像もできない緊密な関係になってきている」との認識をしめされた。「両国の関係がさらに広く、深くなり、ともに未来を見つめるものに」とのご期待をのべられ、最後に「ムイント・オブリガード(ありがとう)」と締めくくられると、大きな拍手が沸き起こった。
 続いて、サントスに停泊中の海上自衛隊によるパレード、州軍警バーロ・ブランコ士官候補生や州警騎兵隊による見事な行進も皇太子さまの前で披露され、さながら両国にとっての王室のような扱いだった。
 三千六百四十人のコーラス隊は「さくらさくら」「アクアレーラ・ド・ブラジル」を大合唱した。そして、百周年記念踊り「海を渡って百周年」が千二百人によって踊られ、最後には千人太鼓が一糸乱れぬど迫力の演奏をみせた。
 昼前から断続的に強い雨が降っていた式典前からやみ、百年の節目には晴れ間がのぞいていた。

喜び、感動、そして涙~思い語る来場者ら

 「こんな立派な式典を見ることができて本望だ」と興奮気味に語るのは、最前列の高齢者席にいた室井洋さん(78、栃木県)。アマゾンのトメ・アスー移住地在住。「娘が航空券買ってくれたので見に来ることが出来、本当によかった」と話した。
 式典の前日(二十日)に百歳の誕生日を迎えた森重光さん(熊本)は皇太子さまのお言葉を直立不動で耳を傾けた。
 「初めてお目にかかれて嬉しい。雅子妃殿下が来られなかったことが残念」と感想を述べた。
 式典の入場券を得るためにマリリアからサンパウロ市に三度も足を運んだ日高徳一さん(82、宮城)は、戦後の勝ち負け抗争に関わり、投獄された経験を持つ。
 「皇族の方たちは何度も来られていたが、諸事情により出席できなかった。今日は一生で最大の日。もう明日死んでも悔いはない」と目を真っ赤にしながら語った。
 皇太子さまのお言葉を聞きながら、静かに手を合わして聞いていた蒸野太郎さん(89、和歌山)も日高さんと同様の経験の持ち主。
 「昔の人の苦労を労っていただき、天界にいる先輩たちも喜んでいるだろう。ブラジルに来た移民は棄民と言われたが、日本人の気持ちと心を忘れずに、農業発展に貢献した人々に、皇太子さまが会いに来てくれたことに感謝したい」と涙を浮かべて話した。
 祈るような面持ちで皇太子さまのお言葉を聞いていた窪田貴美さん(74、二世)は「皇太子さまを一目みるために訪れた。本当に嬉しくて言葉にできない」と言葉を詰まらせた。
 十九日に九十歳の誕生日を迎えた柴田八千代さん(和歌山)は「もう少し近くで皇太子さまを見たかった。でも、きれいなお言葉を聞いて、涙がでるほど嬉しかった」と感想を述べた。
 父親が大正天皇の警備を担当していた樋口傅(つたえ、86、長崎)さんは、「今日は皇太子さまを見るためにやってきた。懐かしくて何とも言えない」と高揚した様子。
 サンパウロ政府と移民契約を結び、笠戸丸移民を導入した水野龍の次女妙香さん(80、亜国ブエノアイレス在住)は、「父水野もこれほどの人がフェスタをして、皇太子さまが来て頂いたことを喜んでいるのではないでしょうか」と穏やかな笑顔を見せた。
 皇太子さまがお車で登場されるとともに、手をあわせて涙を浮かべていたのは、グアルーリョス市在住の森政子さん(82・宮崎)。式典直前の十九日、病気で長年連れ添った最愛の夫を九十歳で亡くした。
 「私は二歳で渡伯し、それから一度も日本に行ったことがない。今日は本当にありがたい限り。主人といっしょに式典を見たかった」と声を詰まらせた。
 山口県出身の笠戸丸移民の末娘という藤井ハナさん(79・サンパウロ市在住)は、サンパウロ州リンス市、マリリア市など、主な日本人移住地で幼少期を過ごした。
 「戦中戦後、ブラジル人は日本人をバカにしたこともあった。だけど今は日本人を正直で働きものだと尊敬してくれている。日本とブラジルがこんなに仲良くなって本当に嬉しい」と感慨深く話した。