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エフィジェニオ・サーレス入植50周年=アマゾナス州=苦難越え歩んだ道のり=300人が半世紀の歴史顕彰=石川県からも慶祝団

ニッケイ新聞 2008年7月5日付け

 苦難乗り越え、半世紀――。アマゾナス州のエフィジェニオ・デ・サーレス移住地の『入植五十周年式典』(宮本倫克祭典委員長)が六月二十三日午前九時から、同移住地の自治会体育館で行なわれた。瀬川進マナウス総領事、エウリペデス・フェレイラ・アマゾナス州農業連盟会長、石川県金沢市からは、芸能使節団「竹の子会」(竹林国昭団長)が駆けつけた。入植者とその家族ら三百人以上が出席、半世紀の歴史を振り返るとともに、これからの繁栄をともに祈った。
 式典では、開会挨拶につづき日伯両国歌が斉唱され、開拓先没者に黙祷を捧げた。慰霊碑の除幕式とイッペー・ロッシャの記念植樹も行なわれた。
 慰霊碑に刻まれた『拓魂』の揮毫は、石川県出身の森喜朗元首相直筆によるもの。同移住地は同県出身者が多いことで知られる。
 宮本祭典委員長は挨拶のなかで一九五八年十一月に始まった入植の歴史を振り返り、現在三十家族が養鶏や果樹、蔬菜作りに従事していることを報告。
 「幾多の苦難の道のりを経ながらも、現在では営農も安定化の方向にあって今日の繁栄を見るに至った」と話し、ブラジルに感謝するとともに今後の活動にも力を込めた。
 瀬川総領事は移住者らの苦労を労ったうえで、「マナウス市の政財界で活躍している日本人・日系人もいて大変心強い」と述べた。
 先没者法要では、僧侶らが読経するなか、出席者らが順番に焼香、志半ばに倒れた先人らの冥福を祈った。
 つづいて入植者の感謝状授与式が行なわれ、移住地に功労した二十二人と、海協連の指導員として移住地の指導に当たった西部アマゾン日伯協会の村山惟元協会(当日欠席)らに手渡された。
 受賞者を代表して、第一次入植者、江藤てらし(左が「金」、右が「産」の字)さん(八三、福岡県出身)は、「私どもとしては、これ以上の名誉はない」と挨拶、半世紀の苦労を振り返つつも喜んだ。
 最後に竹の子会の竹林団長が谷本正憲・石川県知事の祝辞を代読し、「私どもには想像もつかないご努力があったと思う。今回の式典を契機に石川県とのさらなる交流を願っている」と述べた。
 同日夜には、会場をマナウス市中心部の多目的イベント会場で催された祝賀会には、五百以上が出席。エ・サーレス入植者で現在は地元で幅広く製薬会社を経営する武田興洋氏が乾杯の音頭を取った。出席者らは、ピラルクーなどアマゾンの魚料理などに舌鼓を打ち、昔話に花を咲かせていた。
 舞台では、竹の子会の郷土民謡や舞踊、また日系子弟らによるYOSAKOIソーランなどが披露、会場からは拍手が送られた。
 家族たちに連れられて出席した佐藤チヨさん(八九)は、戦前に移住し、同移住地に第一陣として再入植した。現在は孫、ひ孫を合わせると五十人にもなるというチヨさんは、「感激しました。有難かった」と言葉少なながらも、嬉しそうな笑顔を見せていた。