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TAM機事故から1年=見つからぬ遺体、進まぬ賠償=原因調査結果にもばらつき

ニッケイ新聞 2008年7月17日付け

 百九十九人の命を奪ったサンパウロ市でのTAM機事故から一年。遺体が見つからない四人を含む被害者やその家族を思いつつ、最近のTAM機事故関連記事を追ってみたい。
 皮切りとなった十三日エスタード紙は、空軍調査ではコンゴーニャス空港滑走路の状態は安全基準以下だったことや、遺体捜索打切りまでの五十日、夜も眠れず、情報を求めて毎日足を運んだ遺族の声などを報道した。
 滑走路については、調査機関毎に凹凸部の高低差測定値が異なり、事故直後に測定した空軍調査では、〇・五ミリ以上あるべきところが〇・三五ミリしかなかった。一方、民間航空機関(DAC)調査では、一回目が〇・四八ミリ、二回目が〇・五八ミリ。連警の犯罪研究所(IC)調査では〇・六ミリ。
 事故以前から降雨時は滑り易いと報告され、改善が求められていた滑走路だが、調査機関毎に凹凸部の測定値が違うのは奇異。事故後に行われた改修工事で、高低差は一・四八ミリに改善とも報告されている。
 右側エンジンが止まらず、加速状態になっていたのが操縦士のミスか、コンピューターも含めた機材の不具合や故障、整備ミスだったのかなどはまだ結論が出ていない。
 最終調査報告は、航空事故防止センター(Cenipa)が今月中、ICが九月後半、サンパウロ市市警が十月に提出というが、Cenipaは、降雨時でなかったら、右側エンジンが加速状態になっていた異変は操縦士が現場で修正していた可能性ありと判断。また、管制官が降雨時の着陸回避指示を出していれば事故は避けえたとの声もある。
 そういう意味で、事故責任は、施設管理のInfraeroと、官制業務担当の民間航空庁(Anac)、TAMの三者にあるとされるが、事故を起こしたエアバスが同様の事故を起こした報告があり、メーカーの責任を問う声もある。
 また、遺族への賠償については、十三、十六日エスタード紙が、米国の世界貿易センタービル事件の賠償方式に倣い、国が一時的に立替えて賠償し、その後TAMが国に返済という方式採用で、当初の提示額の約三倍が支払われることになったと報道。精神的ショックに対する医療や健康プラン、航空券や宿泊費などの諸経費、事故に関連する諸事連絡費用などもTAMが負担する。
 十五日伯字紙は、コンゴーニャス空港の安全は確保との国防相発言を報じたが、元管制官は、現状は変わってないとも発言。原因調査が進み、賠償交渉がまとまっても、「事故で受けた心の傷跡はいつまでも残る」との遺族の言葉が重く響く。