ニッケイ新聞 2008年7月22日付け
〃卵の町〃バストスで十八日から三日間、第四十九回卵祭りが開催され、主催者によると約十二万人が足を運んだ。地元住民や帰省中の人、近隣パウリスタ沿線地域やサンパウロからバスに乗ってくる人々などで例年以上の大賑わいとなった。
移民百周年の今年、バストスは入植八十周年を迎えた。島内憲・駐伯日本国大使や、バストス出身の植木茂彬・元鉱山労働大臣、渡部和夫・元州高等裁判所判事が参加した。特に今年は植木、渡部両氏の母校サン・ジョゼ学校の「第一回同窓会」が開かれ、同市が輩出した大物人物たちが勢ぞろいした。
初回にお目見えし同祭の象徴となった「卵の門」前で開会式が行われ、バストス婦人会(佐藤ゆりこ・ルイーザ会長)の四十八人による百周年記念踊り「海を渡って百周年」で幕開けとなった。
平均年齢六十を超えるという婦人会の踊りは七年前に光石美佐子(72)さんの踊り指導で始まり、現在会員約八十人。祭りの時期には毎朝一時間から二時間練習があり「みんなコレステロールも血圧も低くなっちゃったのよ」と鶴ルシアさん(65)は楽しそうに語った。
屋内「渡部喜助」会場で鶏卵や鶉卵の品評会も催され、屋外会場には約百の出店が並び、特設ステージでは太鼓やカラオケ、盆踊りなどが大勢の観客を魅了していた。
日本語学校恒例の「おむれつ」は、約七千食(一個につき約卵二個半使用)が用意され、祭りの賑わう夜は長蛇の列ができ、生徒やその親たちが手際よくフライパンを振っていた。用意された卵は全て市内養鶏家から寄付され、売上は一年分の学校運営費に充てられ重要な収入源となる。今年初の試み、姉妹都市三重県熊野市へ交換留学の二人分の費用にも充てられることになっている。
百周年と入植八十周年を記念し、山中三郎記念バストス地域史料館の庭で、記念モニュメント「未来への歴史」(豊田豊氏作)が来賓の見守る中披露され、あしらわれた金と銀の卵がバストスの歴史を刻んだ。
現在はバストス市、同市議会、日系文化体育協会(大野悟朗会長)の共催だが、入植二十年祭事業の一環として始まった同祭は七年前まで文協主催だった。同市在住の日系人は約三千人と、人口の一割程度と減少。日本へ出稼ぎに行っている数も少なくない。「バストスに来れば見れるものを今後考えていかないと」と宇佐美宗一・文協日語総務は今後の課題を語った。