ニッケイ新聞 2008年7月22日付け
戦前、日本国内では、新聞やラジオなどのメディアや交通の発達などによるグローバル化により、意識の均質化が行われ、内向きのナショナリズムが進み、固有の領土に住む、同じ血統で、言語を共有する「日本人」という認識が広まったことを、前節では見てきた。
ところが、グローバリゼーションの流れに乗ったブラジル移民たちは、外国移民に囲まれるインターナショナルな環境に置かれた。日系社会の外側から「ジャポネース」と区別される形で、外向きのアイデンティティを形作っていった。
日本移民とその子孫は、一見して分かる人種的な違い、「ジャポネース」としての差異を日常生活から切実に感じ、イタリア人でもドイツ人でもブラジル人でもない「日本人」「日本民族」として、最初から自らを規定してきた。
「ジャポースとはどんな人物なのか」という中身を補強するために、日本のナショナリズムを参考にした。だから、日本から伝わる戦前の国粋主義的なナショナリズム旋風は、その形成内容に強い影響力を与えた。
前山氏はそれを、ブラジル国内の『エスニックとしての日本人』というアイデンティティを析出した、と表現した。
戦前の国粋主義思想は、多国籍な環境において「日本人」としての自覚、自負を強化するには、まさにうってつけの思想だった。
つまり、笠戸丸移民の時代には一般的に、「日本人」というアイデンティティよりも「村」などの郷土への帰属意識が強く、戦前移民の多くはブラジルのコーヒー農場という多国籍な環境の中で、最初から、独自に日本人アイデンティティを固めていった経緯がある。
同じ日本人であっても、アイデンティティの形成過程は環境に影響を受ける。日本国内とブラジルとでは、その形成過程が異なり、イメージするところが多少なりともずれてきた可能性がある。
そのズレが、日本から来た人からすると、「ブラジルには明治の日本が残っている」という風に感じられるようだ。
アンダーソンは、グローバリゼーションは十九世紀中葉から進展したという。この流れの中で、移民とは、国境を超えた労働需給の均質化によって生まれたインターナショナルな存在でありながら、精神面においては本国よりもナショナリズムを強めるという二面性をもつこととなった。
移民という存在はまさにグローバリゼーションの申し子といえよう。
外国における愛国心理は、なにも日本移民に限定されたものではない。むしろ、現代においては、世界中にある移民コミュニティ全体の傾向としてとらえられている。
祖国を離れた移民やその子孫が本国の住民よりも強いナショナリズム傾向を持ち、遠隔地から影響力を行使することを「遠隔地ナショナリズム」という。
(続く、深沢正雪記者)
百年の知恵=移民と「日本精神」=遠隔地ナショナリズム=第1回「日本人」という自覚=強かった村への帰属意識