ニッケイ新聞 2008年8月1日付け
ペルーの首都リーマの交通規則は、少し変わっている。赤信号で止まり緑信号になるのを待っていると、後ろからブーブー警笛を鳴らし早く行けと催促する。車両優先で歩行者無視だ。
街路は工事場だらけで歩行者は足の踏み場もない。工事の事前通告も迂回標識もない。これらは、同国経済発展の副作用だと二十八日付けヴァロール紙が報じた。
ペルーの二〇〇七年度経済成長率は、九%で南米のトップ。二〇〇八年は、八%の見込み。インフレは、昨年より低く一・八%。GDP(国内総生産)に対する税収は、ブラジルの三七%に較べ僅か一九%で、財政黒字も悠々計上。
コモディティ高騰の波に、巧く乗ったのだ。輸出と貿易黒字は、うなぎ登り。投資有望国の格付け引き上げは、ブラジルより一足先。外資の直接投資は、五十三億ドルで亜国と同額。ペルーは、ブラジルに次ぐ南米の経済大国となった。
ペルーは三政権にわたって同一経済路線と市場開放を行い、外資を導入した。二〇〇七年から国内の消費が盛り上がり、活況が見えた。
経済発展のレールを敷いたのは、ゲリラ組織のセンデル・ルミノーゾを一掃したフジモリ政権のお陰。フジモリ政権は、積極的に民営化と市場開放を実施した。
ペルー経済発展の基礎を据えたのは、フジモリ元大統領である。側近による汚職で同元大統領は失脚を余儀なくされたが、フジモリ元大統領が敷いたレールの上を、他党の歴代大統領が走り現在も路線健在。
同国の経済改革は、フジモリ元大統領の強硬で大胆な第一次改革に続き、歴代政権が法整備の第二次改革、保障システムの第三次改革を行った。今は、技術革新の第四次改革に挑んでいる。