ニッケイ新聞 2008年8月2日付け
江戸の川柳は「売り家と唐様で書く三代目」と詠むが―コロニアの現実は、二代目でもう「閉店通知」がいっぱいである。店を開いて客を呼び商売を繁盛させるにはお客さんが欲しい物を用意し安く売るのが秘訣だし、創業者には豊かな商品の知識も必要だ。こんな苦労が実ってやっと蔵も建ち何がしかの貯蓄もできる▼今の東洋街はそんな見本だけれども、地下鉄駅付近のガルボン街で日系人が経営する店は
まことにもって少ない。シネ・ニテロイが完成すると付近には1世移民らの店が軒を並べ瀬戸物や豆腐、ヒジキなどを買う人たちで賑やかだったし「日本人街」の呼び名がふさわしかった。それが今や中国や台湾、韓国の人々の進出が激しく「東洋街」である。しかも、どこの店もはやっているのが嬉しい。店の親父は中国系になっても、店頭に並ぶのが納豆や醤油など日本人好みの食品が多いのは、やはり日系人が多いからであろう▼それにしても、日系の2世はどうも商売が苦手らしい。これはガルボンに限らず日系社会を広く見渡し、移民が苦心惨憺して築き上げた企業でも、3代目になると傾斜し始め、隆々たる勢いなのはゼロに近い。日本移民が土と闘い見事な成果を上げた農業にしても、後継者不足が目立っているようだし、戦後派の1人としては実に惜しくも哀しい―そんな感じを抱かざるをえない▼中国人は「商売がうまい」。確かに―ガ・ブエノ街の彼らの商いを見ていると、日本人が見習うべきところがたくさんある。お客さんが欲しそうな商品を店頭に多く並べ少しでも安く売る。これぞ商売の見本ではないか。(遯)