ニッケイ新聞 2008年8月5日付け
前節で触れたように、移民船から旅客機に移住手段が変わったことは、単に移動時間が短くなっただけでなく、移民心理にも影響を与えている。
その交通手段の発達の先には八〇年代に始まったデカセギ現象があった。これに加え、グローバリゼーションの別の側面である通信の発達により、九〇年代末からNHKがブラジルでも見られるようになり、インターネットも普及し、移民とその子孫の「想像の共同体」にも大きな影響を与えているようだ。
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日本映画の常設映画館の全盛時代には四軒もリベルダーデに立ち並び、映画こそが日本を覗くための魔法の鏡だった。作られた「美しい日本」「あこがれの日本」がそこにはあった。
八〇年代から、日本のテレビ番組を録画して貸し出すレンタルビデオが全盛になり、逆に映画館は敗退した。だが、日本映画にしても、レンタルビデオにしても、映像ではあるが「想像の共同体」を形成する要素としての同時性には薄かった。場合によっては三年前、五年前の映画や番組を見ていたからだ。
かつて進出企業の駐在員を中心に日本大手紙の衛星版購読者もいたが、サンパウロ市以外の地域では数日遅れ、同時性の面では後れを取った。さらにインターネットの普及により、ニュースサイトを通してタダで即時情報に触れられる環境ができ衛星版は下火になった。
しかし、〇〇年三月から始まった「NHKワールド・プレミアム」(在外邦人向け日本語放送)はまさにナマだった。特にニュースを見ていると、まるで日本にいる気分になる。外国において、これほどの同時性を催す媒体はない。
生映像の力は強い。新聞という活字媒体はどこか客観性が残ったり、逆に想像力で補ったりする部分がある。今一瞬を共有している感覚、「同時性」という点でテレビは優れている。
劇場の観客と同じような臨場感が生まれ、特に最初の頃は、前節で紹介したような「頭の中は日本」になる効果を一世世代にもたらした。
以前から、なにか気に入らないことが起きれば「日本なら」と単純に比較しがちだった一世にとって、この媒体が生まれ、簡単に加入できる意味は大きい。
いつの間にかブラジルのニュース番組よりもNHKを見る比重が高くなり、それにともない自分の関心の重心が、地元のブラジル情勢よりも、地球の反対側の日本に入れ替わってしまう恐れが指摘されている。
例えば、ブラジルに住んでいながら、十月に当地で行われる地方統一選挙の誰が当選するかより、いつ日本の総選挙が行われて誰が新首相になるかに関心が集まっているような状態だ。
言い方をかえれば、物理的身体はブラジルにあるが、心は衛星映像を通したバーチャルな日本と強く共鳴してしまう。消えかけていた熾きのように、NHKを見なければ自然に鎮火していたかもしれない移民独自の強い「郷愁」、もしくは「想像の共同体」への帰属意識に油を注ぐ効果があるかも知れない。
これを後押しているのは、何年たってもどこかホスト社会にどこかなじみきれない移民心理だ。移民にとってNHKを見るということは、自分が日本という「想像の共同体」に所属していることを確認する作業でもあるようだ。
このような見られ方を、NHK自体は想定していないだろう。だが、モノやサービスが簡単に国境を越えてしまうグローバリゼーションの現代において、作る側が予期しないような、別の受け取られ方をすることはありえる。
日系社会の一部にとってのNHK国際放送は、邦字紙などの現地日系媒体を超える存在感を持つエスニックメディアとして機能しはじめている可能性がある。
(続く、深沢正雪記者)
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