ホーム | 日系社会ニュース | 高野芳久氏=元県連会長

高野芳久氏=元県連会長

ニッケイ新聞 2008年8月8日付け

 県連会長を務めた高野芳久さんが七日午後一時半、ヴィラ・マリアーナ区の自宅で亡くなった。享年八十七歳。脳梗塞を患い、十三年間ほど自宅療養していた。今年三月には、長年付き添った秀子夫人とのダイヤモンド婚(六十年)を家族で祝ったばかりだった。
 山梨県石和出身で一九三四年さんとす丸で渡伯。ノロエステに入植後、サンパウロでタクシー会社、フォルクス・ワーゲンの販売代理店を経営した。
 県連会長(第五代、八四年~九〇年)時代に県連センター構想を発表、コロニアの話題を呼んだ。山梨県人会長(六九年~九〇年)や救済会など、コロニア団体の役職を歴任した。九五年に勲五等双光旭日章を受章した。
 元県連会長の網野弥太郎さんは、「同県人ということもあり、非常に影響を受けた。非常に優しい人で俳句をよくするなど文の立った人だった」とその死を惜しんだ。
 佐藤念腹の門下で俳号は耕声。憩の園入り口の石碑には、同氏の句「蒼氓のお夏の村も春の風」が刻まれている。
 葬儀は八日にコンゴーニャス墓地で行なわれ、午後三時に出棺する。初七日は未定。