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「聖家族も移住者でした」=5千信者が百周年祈る=アパレシーダ巡礼盛大に

ニッケイ新聞 2008年8月9日付け

 ズ――ン、ズ――ン、直径九十五センチの和太鼓に精神集中したうち手の想いが、深い打撃音となって大聖堂全体に厳かにこだまする。全伯の日系カトリック信者約五千人が三日、ブラジルの守護神アパレシーダを祀るバリジカ大聖堂に参集し、百周年記念ミサを執り行った。日伯司牧協会(PANIB=青木勲会長)が主催して二年ごとに開催する巡礼だが、これだけの人数が集まったのは初めて。
 会場にはアサイ、ベロオリゾンテ、クリチーバ、レジストロ、バストスなどのプラカードを持った巡礼たちが集まり、固唾をのんで進行を見守っている。
 「元気でねぇ」「いってらっしゃい」。神戸港で見送る群衆の声を模した声が上がり、アチバイアとオザスコの和太鼓チームによる和太鼓演奏に誘われるように、約十メートルの笠戸丸の模型がゆっくりと入場した。
 国武清志アントニオさんの進行により、埼玉県から招待された谷大二司教やミサをとりしきる神父たちが入場した。
 日ポ両語で聖書が読み上げられ、賛美歌が歌われた。谷司教は説教の中で「聖家族は難民であった」とし、イエスが生まれた後にヨセフとマリアはエジプトへ逃れ、移民のような生活を送ったと比喩した。「言葉も通じず、良い給料の仕事にも就けなかったのでは」。
 さらに「聖家族はみな、難民として、移住者としての目をもっています。ここに集まっている移住者とその子孫のみなさんと同じ目と心です」と語りかけると大きな拍手がわき、司教自ら聖体拝領を行った。
 共同祈願では「日本移民百周年を祝うにあたり、開拓生活に数多くの辛苦艱難を雄々しく、拓魂の精神で生涯をお捧げになった日本移民の方々に敬意と永久の安らぎをお祈りします」などと唱和された。
 一世がもたらした農作物、二世が日本食や折り紙、生け花、三世が医者や教師、四世が理科系専門職を象徴するコンピューターなどと世代ごとの貢献が紹介され、交わりの儀ではみなが隣人と握手や抱擁を交わした。最後に守護神であるアパレシーダの像をもった着物姿の娘が現れ、谷司祭から祝福を受けた。
 ミサのあと地下の集会室に集まり、日系神父らとの懇談が行われた。谷司教は「日本の教会では和太鼓を見せることは難しい。ここでは太鼓が継承されているのは素晴らしい」と日系社会を賞賛した。その後、日本の司教団からのメッセージがビデオで紹介された。
 ニッケイ新聞の取材に、オザスコから参加した森キョウコ・エリザベッチさん(46、二世)は「笠戸丸の場面で日本語で〃戻ってこいよ〃とか聞こえて泣いてしまった。とても感動した」と感極まった様子。
 レジストロのヨウコ・アリマ・シャビエルさん(71、二世)は「心の底から揺さぶられた」、同地のモロオカ・カタリーナさん(60、二世)は「昨年末に姉がガンで亡くなった。その時の誓いを遂行するためにきた」と涙を浮かべた。