ニッケイ新聞 2008年8月15日付け
分岐点に立つ若者たち=在日子弟の悩みと将来=第1回 僕は夢から逃げない=「日本で成功しなくちゃ」
【愛知県発】「百年後、自分の孫が僕みたいに泣きながらブラジルに行くんじゃないか、それは自分のせいになるんじゃないかと思う」。細谷レックス・マーク賢治さん(21、三世)は、そういって子どもたちの目を見つめた。
財団法人名古屋国際センターが毎年行う、小中学生対象の国際カレッジ―子ども編―。この中で今年初めて日系ブラジル人をテーマにしたゼミナール「日系ブラジル人とわたしたち」が開催された。
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「日系人って何だか知ってる人!」。細谷さんの軽快な質問に口ごもる子どもたち。「ハーフ?」。やっと出てきた答えに細谷さんが家系図を描いて説明する。
「日本に来て最初に覚えた言葉は、バカとトイレとカメハメ波(=人気アニメの主人公が得意とする必殺技)。バカバカ言ってればいじめられない。授業中何もわからなくて困ったらトイレに行って落ち着くまで待つ。カメハメ波は友達を作るのにいちばんだった」。
子どもたちの反応は良好。来日時の苦労話にも笑いが起こった。
「でも」と細谷さんは続ける。「ちょっといじめられたこともある。後になったらみんな外国人にどう接していいかわからなかっただけみたい。だからみんな近くに外国人がいたら面倒くさがらないで接してみて欲しい」。
そしてもう一つ子どもたちに念を押したのが「夢を持つこと」。細谷さんが日本へ来てからショックだったことのひとつに、学校の友達同士での会話に、夢の話があがらないことがあった。
「ブラジルではテレビ、恋愛、人の噂に並んで夢の話も当たり前だったんだ。みんな将来何になりたい?そんな話してる?」
しかし細谷さんも、大切な夢を封じ込めていた時期があった。
「高校を出たら大学に行くものだと思って勉強していた。当時の彼女がいい大学に受かっちゃったから意地になってた。でもそのうち本当にやりたいのは音楽だと気がついて必死で親を説得した。その瞬間自分は大人になったと思ったんだ」。
熱を帯びた口調に子どもたちも一緒に参加した大人たちも真剣になる。
「百年前、移民が始まったのがここ、今がここ。十三年前、僕は日本に来たくなくて泣いていた。そしてこれが百年後」。ホワイトボードに簡単な時間軸を描いた。
「僕が今夢から逃げるわけにはいかないんだ。日本で成功しなくちゃ。日本はこんなに小さい国だから、日本人は百年後には海外へ出なくてはいけないかもしれない。そのとき自分の孫が泣きながら親に連れて行かれたら、それは僕のせいになるんじゃないかと思う」。
熱心に語ったその言葉は夢を持たなくなったと言われる日本の子どもたちへの励ましでありながら、細谷さん本人が自分に言い聞かせているように思えた。
(つづく、秋山郁美通信員)
写真=国際カレッジで行なわれたゼミナール「日系ブラジル人とわたしたち」の様子(左端が細谷さん)