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分岐点に立つ若者たち=在日子弟の悩みと将来 第3回=ぴかぴかの「出口」目指して=日本で高校進学に賭ける夢

ニッケイ新聞 2008年8月20日付け

 【愛知県発】「今日はまたすごいねー」。爪からこぼれそうなほどのネイルアートを見つけて、NPO法人トルシーダの代表伊東淨子さんが声をかける。
 金髪や派手なメイクとは裏腹に、すぐに照れてはにかむのはムラヤマ・ナタリア・クリスチーナさん、十七歳(三世)。四月からトルシーダで高校の受験勉強を始めた。
 十七歳といえば普通なら高校二、三年生の年齢。七歳で来日したが、ここまで来るには一筋縄ではいかない道のりがあった。
 「来日して最初に入ったのはブラジル人学校。小学校はいじめがあるとか悪い噂があったから。馴染めずやめて、小学校で卒業まで過ごした」。
 彼女の父は日系二世、母親は非日系のブラジル人。そのためか、母はポルトガル語教育に熱心で、小学生の間もポ語の勉強をさせた。
 「いつブラジルに帰るかわからないから、小学校を卒業したらブラジル人学校へ行くことになった。わたしはみんなと一緒に中学校へ行きたかった」。
 あまり感情を表へ出さず、ぽつりぽつりと話す。
 ブラジル人学校ではポルトガル語の遅れから小三レベルのクラスへ入れられた。友達ができず、別のブラジル人学校へ移ったが、そこでも四、五人の特別クラスで勉強することになった。
 「それも馴染めなくて、やめてからは何もしないで家にいた。遊んだり・・・」。そんな日々は一年以上続いた。
 「入るなら日本の学校と思っていた。普段遊ぶのも小学校での友達が多かった。カラオケに行く。トリプルAが好き」。日本の若者に人気のグループだ。
 十五歳の夏になって、トルシーダで日本語の勉強を始め、中学に入ることを勧められた。中三の二学期から。もちろん授業はまったくわからない。
 「とにかく中学を出でないと高校へ進学するには厳しい。授業についていけなくても中三からでも卒業はできる」。伊東さんは中卒の重要さについて教えてくれた。
 「いくら本国で認可されているブラジル人学校を卒業していても、日本の高校へ進学する条件にならない。十五歳を過ぎたら中学校へは入れない。それを知らない人が多い」。
 そうなると、高校入学資格を得るには夜間中学へ通うか、中学校卒業程度認定試験に合格するしか手がない。しかし、この試験には相当の日本語能力と教科以外の知識も必要だという。
 中学校に入って半年で卒業を迎えたナタリアさんは、また家での日々を送る。
 「小学校のころからネイルアーティストに憧れていて、専門学校に通いたかったけど、学費が高いから難しいなと思っていた」。
 母親は自宅でネイルサロンを開いている。影響を受けて、見よう見まねで自分の爪を飾ったり、付け爪などを作ったりしていた。
 卒業から二年が経とうとしていたとき、再び伊東さんから声がかかった。
 「電話が来て、何をしてるの?って。何をやりたいか考えるように言われて、高校を目指すことにした」。
 伊東さんはトルシーダで勉強をするにあたって常に「出口」を意識している。
 「ただここで日本語を勉強するのではなく、何のために、どこを目指して、ということを始めに話し、親にも子にも考えてもらう」。
 定時制の高校へ通えば昼間はアルバイトができる。学費が貯まればネイルスクールへも行ける、とナタリアさんは考えた。
 トルシーダで午前の二時間小さい子どもたちの日本語クラスのサポートをし、その後ボランティアの大学生についてもらい中学校の復習をしている。
 問題集に取り組む姿勢は真剣だ。やっているのはまだ中一レベルの問題集。それでもこれまで止まっていた時間は確実に動いている。
 「お母さんはブラジル学校へ入れたことを後悔しているみたい。でも今は自分がやりたいことをやっているし・・・」。不安さが残る口調ながら、彼女の熱心さ、まじめさが伝わってきた。
 やっと分岐点へたどり着いたナタリアさん。目指すは彼女の爪のようにぴかぴか光る「出口」だ。
(第一部=終わり、秋山郁美通信員)
写真=爪からこぼれそうなほどのネイルアートをみせながら微笑むナタリアさん