ニッケイ新聞 2008年8月20日付け
百周年の年、北京五輪でブラジルが獲得した最初の三つのメダルが柔道だったことは意義深い。十九日正午時点で、ブラジルが得た全六つ(世界三十九位)のうち半分を占める。これは日本移民がもたらした貢献の一つだと言っていい。日本で生まれた柔道は、移民によってブラジルに持ち込まれ、大きな華を咲かせている▼フォーリャ紙十七日付けネット版では、中国に特派された記者が「柔道におけるブラジルの力は移住を反映している」との見出しの記事を書き、日本移民の柔道普及の貢献を讃えた。日本移民はあちこちに道場を開いてブラジル人に広め、それが今ではブラジルを代表するスポーツになった。加えてコンデ・コマ(前田光世)が持ち込んだ柔道が、ブラジリアン柔術となって世界の格闘技界に影響を与えていることにも触れられている▼前回のアテネ五輪で柔道は二つのメダルを獲得したが、今回は三つを得たのみならず、その一つは初めての女子だった。本家である日本自体もアテネ五輪を下回る七つであったことを考えれば、健闘したといってもいいだろう▼五月四日、北東伯マラニョン州の地方紙サイト「ジョルナル・ペケーノ」にブラジル人による、柔道の父・嘉納治五郎の七十年目の命日を記念した長文のポ語記事が掲載された▼日系人の多いサンパウロ州やパラナ州ならまだしも、非常に少ないマラニョンでも、と感動した。文中には「JKいわく」という表現があちこちにあった。当国でJKといえば今も人気の高いジュッセリーノ・クビチェッキ元大統領に決まっているが、もちろん、ここではジゴロウ・カノウだった。 (深)