ニッケイ新聞 2008年8月23日付け
ブラジルでは一九四〇年から一九八〇年の四十年間に人口の大部分が、地方から都市へ移動した。この時期の都市無計画がもたらした問題は、所得格差よりも所得格差を生み出すシステムを構築したことだと、ル・モンド・ディプロマチッケ八月号が報じた。
どっと都市へ押し寄せた人々を待っていたのは、資産家にだけ許される複雑な土地制度と建築許可システム。この条件を克服できない大部分の人々は、都市計画法や環境法が禁じた地域へ侵入し、雨露を凌ぐ不法建築を余儀なくされた。
宅地の違法造成や無責任造成が横行し、身を寄せるところがない多くの難民は、みんなで赤信号を渡った。また通勤の便が良い場所を選んだ者は、違法や不法、危険も意に介さず空き地に掘建て小屋を建てた。
ブラジルの五千五百六十四都市には、底辺の人々のための都市計画法も法整備もない。自治体にとって下層民は、虫ケラであって人間と思っていない。底辺の人々自身が、自治体をつくって統制管理を行っている。
雨が降れば、がけ崩れで生き埋めによる犠牲者が出る。しかし、市が反省して対策を採ることはない。自治体にとってそこは、市内でも管轄外市街地なのだ。
ブラジルの無秩序や無関心は、それを生み出すシステムが完成し、昼夜のべつなく稼動している。底辺の人々が働くチャンスは、都市に満ちている。このチャンスをバスがつなぐ。都市の空気が汚染されても、彼らには関係がない。
この無秩序の原因は、どこから来たのか。植民地時代の一獲千金の夢から始まり、現代社会に引き継がれた。現代の一獲千金は、公金横領や汚職だ。これを更に煮詰めるとブラジルの政治にある二つの要素、不明瞭と曖昧さが原因らしい。この要素は、公私混合や合法と違法の混合という形で現代でも生きている。