ニッケイ新聞 2008年8月30日付け
サンパウロ市で初めて開かれたウチナーンチュ会議。開会式で与儀会長は、「今日は様々なプログラムが用意されている。この機会を使って情報交換を行ってください」とあいさつ。その他、安里カツ子沖縄県副知事、上原幸啓ブラジル日本文化福祉協会会長、SEBRAE(零細企業支援サービス機関)のリカルド・トルトレリー・サンパウロ支部長、与那嶺真次国際WUB会長たちも祝辞を寄せた。
最初に同県人会の山城勇相談役が「沖縄県人会史」と題して県人会の設立経緯から現在に至るまでの活動などの歴史を紹介。
続いてジャーナリストの金城セルソ記者が「日系人のブラジル報道界への貢献」と題して、ブラジル国内における邦字紙の始まりから現在までの歴史を話した。
最後に「ウチナーンチュの長寿傾向について」と題して講演したクレイグ・ウィルコックス博士は、カナダ生まれで現在沖縄で長寿について研究している。
博士は冒頭、「ウチナーンチュはとても興味深い人々だった」と初めて沖縄を訪れた時の印象を振り返り、研究を始めた動機を語り始めた。
沖縄県人の長寿の秘訣として、よく身体を動かす事や、ゴーヤチャンプルーなど沖縄の伝統的な料理が健康に良いことを紹介した。続いて映像や、各国の長寿、死亡原因などを数値化した表などを用いながら沖縄の長寿の秘訣について説明。「様々な要因から考えてもウチナーンチュは世界の中でも長寿の地域」と位置付け、講演を締めくくった。
国際女性フォーラム=沖縄の文化継承とは=各国女性11人が講演
午後から行なわれた「第二回国際女性フォーラム」は、「守礼魂の文化継承」をテーマに、国内はじめ沖縄、ペルー、アルゼンチン、NY、ハワイから十一人の女性がパネリストとして招かれた。
それぞれ違う環境で活躍するウチナーンチュ女性の話を通じて、文化継承のための女性の役割や価値などを再認識するのが目的。約三百人が出席し、うち九割を女性が占めた。
与儀県人会長の開会あいさつに続き、西原篤一沖縄ブラジル協会会長、上原文協会長があいさつ。上原会長が「日本を建て直したのは女性の力」などと女性の活躍を話すと、大きな拍手が送られた。
沖縄という共通点を持つパネリストは、各国の沖縄系子孫や県人会で活躍する女性たち。前半と後半に分かれて、それぞれの環境の中でどのようにして沖縄の文化継承をしているかを各十分ずつ発表した。
ブラジルの貧困層の子供に沖縄民謡を取り入れた音楽を教えている音楽家の上原イザ氏(ブラジル)は、自身が実践する多文化融合形の継承方法を示した。
伝統文化保存に力を入れる久場ボビー氏(ハワイ)は、ハワイ沖縄県人会で伝統芸能の継承者育成のために奨学金制度を設けていることを紹介。婦人会が中心となって資金稼ぎの為にアンダギー販売やバザーを開いていると話した。
沖縄の書道家、竹崎久仁衣氏は、書道を教える際の距離や時差の問題をインターネットで克服し、外国に生徒を持つ。文化を伝える現代的な一つのモデルを示した。
移民や戦争の歴史を振り返り「戦う女、強い女、働く女、母の優しさ」と、様々な条件下であらゆる役割をこなしてきた女性を称えたのは、南マット・グロッソから参加した大学教授の大城ソニア氏。「どの時代も子供に文化を伝えてきたのは女性」と熱弁を振るうと、会場からは拍手が沸き起こった。
最後にNYの沖縄県人会会長のトゥーシー・与那覇てい子氏は、戦時中の母を振り返り、「母の忍耐はどの世界にも通用する。私たちは可能性から逃げてはいけない」と締めくくった。
講演後、ジャーナリストの保久原ジョルジ氏と金城セルソ氏、丸橋次郎在聖日本国総領事館首席領事からコメンテーターとして話があり、パネリストらに座間味末子沖縄市文化協会理事らから沖縄のローランド人形などが贈られた。
最後は「安里屋ユンタ」「豊年音頭」を沖縄出身の歌手、具志恵さんが歌うのに合わせて全員で踊り、賑やかに閉会した。