ニッケイ新聞 2008年9月3日付け
【アラサツーバ発=坂上貴信記者】色鮮やかな提灯の下で盆踊り――。ノロエステ連合日伯文化協会(白石一資会長)、アラサツーバ日伯文化協会(加藤孝会長)共催の「第四十二回ノロエステ盆踊り」が、八月三十日夜、アラサツーバ市内にあるブラジル政府が所有するクリーバス・デ・アルメイダ・プラード(Clibas de Almeida Prado)展示場で催された。移民百周年を記念した伝統の盆踊り。午前中に雨が降り、肌寒い天候ながらも約五千人(主催者発表)が来場。無数に飾られた色とりどりの提灯の下、自分たちの好きな踊り方で、楽しい時間を過ごした。
百周年記念の盆踊りに向け、関係者たちは水曜日から櫓を組んだり、電球の取り付けを行うなど準備を進めてきた。
本番当日は朝から提灯を設置したり、同文協会館では食事の用意。会場内には大小様々な大きさの提灯が飾られており、日本の盆踊りを思わせる雰囲気になっていた。
午後七時頃になると徐々に人が増え、午後八時頃から、同連合所属文協の代表など多数の関係者出席のもと開会式が行われた。
最初に加藤会長は、関係者や婦人部の人たちに感謝を述べながら「今日は一日楽しい祭りにしましょう」と呼びかけた。
続いて、白石会長は「今年の盆踊りは、日本移民百周年、ノロエステ連合日伯文化協会創立八十周年、アラサツーバ市創立八十周年を記念して行われている」と説明。百周年を記念して今回のために作った半被に対して援助した同市役所と連邦政府に感謝を表し、「この半被を着て、みなさんで心を一つにして踊りましょう」と力強く宣言した。
その他、同文協内にある日本語学校と姉妹校関係にあるリオデジャネイロ日本人学校の大越邦生校長、飯星ワルテル下議、ジョルジ・ファリア・マルリ下議、ジョルジ・マルミネット同市市長たちも祝辞。
続いて、ノロエステ連合から両連議、市長と清水オリジオ・レアル銀行取締役に感謝状が贈られた。
開会式も終わりいよいよ盆踊りへ。演奏は、同文協の楽団部の生バンドによって行われた。最初はブラジル日本移民百周年記念「海を渡って百周年音頭」。
まず、お年よりの人たちが外の枠に沿って踊り始めた。初めは踊り手が少なかったが徐々に人が増えてきて、みるみる内に櫓の周りは人で身動きが取れなくなった。
櫓の近くを踊り歩く若者たちは、「炭坑節」を聞きながらマツリダンスを披露、円の外の方ではお年寄りを中心に伝統的な踊りが踊られていた。
曲が進むに連れ、マツリダンスの形も変わり始め、それぞれの好きな形で踊りだした。若者同士の中でも、それぞれのグループによって色々な踊り方が見られるようになり、それぞれが自分たちの盆踊りを楽しんでいた。
今回演奏された曲は、「海を渡って百周年」を皮切りに「炭坑節」「会津磐梯山」「ソーラン節」「花笠音頭」「相馬盆唄」「幸せ音頭」「ギザギザハートの子守唄」、フォークダンスの八曲で、休憩を挟んで二回ずつ演奏された。
毎年参加しているという横田正子さん(64、二世)=アラサツーバ在住=は「日本の伝統を忘れないために、若い人たちが踊っていることが素晴らしい。非日系人も一緒になって踊っているしね」と嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
盆踊りは夜が更ける午後十一時過ぎまで行われ、寒空の下、参加者たちは踊り続けていた。
盆踊り支える生演奏=アラサツーバ文協楽団部
四十二回続くノロエステ伝統の盆踊り。それを支えているのは、毎年生演奏しているアラサツーバ文協楽団部(諸岡俊之部長)だ。今回の盆踊りのために用意されたのは八曲。全て同部員が演奏した。
肌寒いなか、櫓の上に設置された特設ステージで来場者のために必死に演奏していた。
今回は、数人の歌手を中心に、太鼓、ベース、ギター、キーボードなどの楽器を使って演奏された。
現在、同部には演奏者、歌手を含めて約二十人が所属している。ノロエステ地方で盆踊りが行われる時期になると、各地から要請を受けて演奏を受け持っている。
依頼を受けて、一週間に二回ほど練習を行い、本番に臨んでいる。今回も、約三時間にわたる演奏を見事にやり遂げた。