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ヤマモト・ロザリオ=〃華麗なる〃詐欺人生(上)=詐欺ひと筋に半世紀=「だまし初め」は日本で=月の土地まで売った?

ニッケイ新聞 2008年9月11日付け

 ブラジル日系社会でその名を知られた、あの〃日系人詐欺師ヤマモト〃が逮捕されて、今月十四日でちょうど一カ月を迎える。実在しない日系団体の代表者や天皇陛下のいとこなどと称し、日本とブラジルで計二千五百件もの詐欺をはたらいてきたヤマモト容疑者は、日系コロニア史上に残る稀代の詐欺師だった。今月三日午後、ヤマモト容疑者を逮捕したサンパウロ市東部ヴィラ・リッカ区の第四十一市警のアルトゥール・フレデリコ署長に、半世紀近くにわたる彼の〃華麗な〃詐欺人生と身の上を聞いた。(池田泰久記者)
 本名ヤマモト・ロザリオ・カズアキ(60)。見た目、中肉中背。ブラジル生まれの二世だが、子どもの時に一家とともに日本に行き、二十歳まで育った。日本語に堪能なのはこのためだ。今でも日本に親戚がいるとされる。
 以下、ヤマモト容疑者がフレデリコ署長に供述した内容によれば、その詐欺人生は、日本で暮らしていた十代まで遡る。現在の年齢から逆算すれば、一九六〇年代。日本が高度経済成長期を迎えていた時代だ。具体的な手口はわからないが、当時から簡単な詐欺を働いていたという。
 本格的に詐欺を始めたのはブラジルに戻ってから。詐欺の主な名目は、日系コロニアのための協力金集めというものだが、時には牧師を名乗り、教会の信者から寄付金をだまし取った。またある時は白衣をまとった医者にもなり、個人や企業を問わず、金を騙しとり続けた。物乞いにもなったというから、まさに七変化だ。
 その詐欺歴は、かなりユニークで大胆だ。
 一九七九年、ヤマモト容疑者は、サンパウロ州沿岸部の海岸リゾート地で有名なペルイーベ市に、きれいな島を所有しているとして、ブラジル人女性にその島を売ったが、実際にはそんな島はなかった。「女性が島を見に行ったら海の水しかなかった」と、フレデリコ署長は苦笑いを浮かべる。
 一九八五年には、ある日系人家族に、吉田茂元首相の親戚と名乗った。「日本政府が月の土地を販売している。私が手続きを代行する」。そうウソをいい、詐欺に成功。具体的な数字はわからないが、詐欺で設けた金額はかなりのものだったという。
 同署長によれば、集めた金でこの頃、サンパウロ市リベルダーデ区のガルボン・ブエノ街にあったホテルを購入した。その後、このホテルを転売し、船を買った。
 船舶の操縦資格を持っていたかは分からないが、その船を利用して、沿岸部からブラジル各地を移動した。「全伯各地で詐欺をした」というから驚きあきれる。
 この他にも八〇年代中ごろ、日伯友好病院の建設資金集めの募金キャンペーンを利用して、寄付金をだまし取った。また、失敗に終わったが、サンパウロ市内の高層ビルにあり、金額的にも場所的にも〃高い〃ことで知られる某有名イタリア料理店も、詐欺で奪い取ろうとしたという。
 ヤマモト容疑者は逮捕された時、被害者の名前や連絡先をぎっしりと記した〃詐欺ノート〃を所持していた。同署長によれば、「これは彼の小道具の一つ。このノートを見せて、多くの人の名前が登録されていると思わせて相手を信用させていた」という。それだけでなく、このノートを〃顧客管理用〃にもつかったと見られる。
 天皇陛下のいとこという名目や、実在もしない日系社会の代表という肩書きは、主にブラジル人相手につかったと供述している。「ブラジル人には日本のインペラドールの顔と、普通の日本人の顔なんて区別がつかない」(同署長)。そうした盲点を狙ったのだ。 (つづく)

写真=「稀代の詐欺師」ヤマモト容疑者。逮捕前(今年4月撮影)