ニッケイ新聞 2008年9月24日付け
【リンス発】サンパウロ州リンス市で二十、二十一、同市の日本移民百周年記念行事があいついで開催された。市の入口に「大和魂の町(Cidade com Alma Japonesa)」の横断幕が掲げられている町、リンス。二十日の慰霊ミサには三百人、翌二十一日の記念祝典には地元、ノロエステ沿線各地から約八百人が参集し、先人への感謝とともに移民一世紀の節目を祝った。二十日には記念の鳥居も落成するなど、まさに市挙げての祝典となった。
祝典はリンス慈善文化体育協会(ABCEL、安永和教会長)とリンス本派本願寺(岡山智浄主管)が共催。式典に先立ち同日午前九時前から、同文協会館で仏式の先亡者追悼法要が営まれた。
ノロエステ連合日伯文化協会の白石一資会長はじめ沿線各地の日系団体代表、清水潔オリジオ・ブラジル日本文化福祉協会財務理事、同市からはイスラエル・アルフォンソ持続的開発局長(ヴァルデマール・サンドリ・カサデイ市長代理)、市各部局、関連団体代表など多数の来賓が参列。
同寺が担当するリンス、プロミッソン、ゼツリーナ、グアイサラでの物故者の過去帳に続き、献花、献灯が入場し、岡山主管による読経の中、参列者の焼香が続いた。
代表して弔辞を読上げた南尊義・同寺常任総代(75、二世)は「移住者は苦労に耐え、子弟教育に尽力して同胞社会発展の基礎となり、生涯をこの地に捧げた」と感謝と哀悼の意を表した。
過去帳に記載された開拓初期から現在までの物故者は七千二百三十三人。岡山主管は特に戦前、子供や若い母親の死が多かったことを偲ぶとともに、「移民新世紀を迎え、一人一人が後輩に良いものを残していく必要がある」と話した。
法要後は、同寺アソカ日曜学校に通う四世の子供四人が日本語で祖父母、先人への感謝の言葉を発表した。
続く記念式典であいさつに立った安永会長は、前夜のミサを振り返り、司教が同地域の刑務所を訪問した際、千二百人の収監者中一人も日系人がいなかったと話したことを紹介、「移民の方が苦しい中、子弟たちに伝えてきた教育があったから」と先駆者へ感謝を表すとともに、「三世、四世になっても、一世と多くの二世が戦って、残してきた遺産、正直さを忘れてはいけない」と力強く述べた。
百周年に関する幅広い伯メディアの報道、国、州、市からの祝福に触れ、「私たちは見ているだけでなく、ブラジル国民に心から感謝しなければ」と話した白石会長は、追悼法要の大切さを挙げ「これからも続けてほしい」とあいさつ。清水理事も「『親を敬う心』といった教育、日本人の教えを受けて、私たちがここにある」と先人へ敬意を表した。
最後にアルフォンソ局長が、「日系人はリンスに日本文化と多くの人材を残した。感謝すべきは私たち市の方」と同市発展への貢献を称賛し、「市を代表して『ドウモアリガトウゴザイマス』」と日本語で話すと会場から大きな拍手が送られた。
主催者から八十歳以上の高齢者百十四人と、十六個人・団体の功労者を表彰。高齢者表彰では、感謝状とともに一人一人に本人の顔写真が刷り込まれた記念の楯が贈られた。ノロエステ連合から同文協関係者への感謝状贈呈も行なわれた。
式典後、会館前庭で同文協の発展と平和を祈って設置された折鶴のモニュメントを除幕。昼食会では本願寺光輪青年会による踊りや、日曜学校生徒の発表、YOSAKOIソーランなども披露され、出席者は地元での節目の祝典を楽しんだ。
記念事業、祝典準備のため奔走してきた安永会長は、にぎわう会場で「感激です」と一言、声を詰まらせながら喜びを表していた。
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高齢者表彰を受けた迎正雄さん(88、石川県)は二歳で移住、八十年近くリンスで暮らしてきた。「(受賞を)知らなかったからびっくりしました。ありがたいものですね」。
三〇年に移住以来現在までリンス地域に暮らしているという溝口エイコさん(91、福岡県)も「こんな褒美をもらうとは思いませんでした」と笑顔を見せる。
「リンスに移った十九歳の頃は、質素ながらどこでも日本人の店がありましたけど、今は少なくなりましたね」と話すのは、受賞者を代表して謝辞を述べた小原安雄さん(83、ビラッキ生まれ)。「四世の子の日本語の発表や、三世、四世がこんな大きな催しを続けてくれるのはたのもしい」と話していた。