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県連ふるさと巡り=移民街道・パンタナール~2千8百キロをゆく=連載〈5〉=カンポ・グランデ=沖縄民謡・ソバを堪能=半世紀ぶりの再会も

ニッケイ新聞 2008年10月17日付け

 朝四時半にモーニングコールが鳴る。南麻州は一時間の時差があるから、サンパウロの五時半。早々と朝食を終えた一行はひんやりした空気を肌に感じながら、バスに乗り込み、六時過ぎには、三百五十キロ離れた同州都のカンポ・グランデに向かった。
 「みなさん、おはようございます!」。一号車のバスでは、二十三回目の参加となる清水秀策さん(73、愛知)による余興が始まった。創作なぞなぞで同乗者は頭の体操、正解者には清水さんが自腹で持参した景品が贈られる〃恒例行事〃。
 「十回目に参加したころ、ピアーダを披露したら褒められて。それから増長してね」と笑顔を見せ、「次回のふるさと巡りの分も、もう考えていますよ」。
 女性参加者が自慢ののどを披露した「影を慕いて」の古賀メロディーを聞いているうちに、記者は二度目の眠りに。気がつくとバスは高層ビルが林立するカンポ・グランデ市内を走っていた。
 「あんた、よく寝るねえ~」と呆れ顔の長友団長を尻目に、宿泊予定のホテルで早速昼食。しばしの休憩後、沖縄県人会館へと向かう。
 会館のある通りには、噂に聞いていた大鳥居が威容を誇っていた。二車線ある歩道の幅だけに、横に五メートル以上はある長い鳥居。日本文化変容の現場ともいえるが、あるのは沖縄県人会の前なのだから、これは学者に任せるべき分野だろう。
     ◎
 この日、カンポ・グランデ沖縄県人会創立八十六周年、会館建設四十二年を祝う演芸会が開かれていた。
 「懐かしいね」「こんなに嬉しいことない」―。
 参加者の高良幸一さん(74、沖縄)が同地在住の金城幸吉さん(69、沖縄)と五十三年ぶりに顔を合わせる場ともなった。
 五五年四月十七日、那覇港を出発したチサダネ号の同船者。家族同士が三食に顔を揃え、香港やシンガポールなどの寄港地でも、「いつも一緒に行動していた」。
 サントス到着後、金城さんは直接カンポ・グランデへ。高良さんは、サンパウロ州オリンピア、ジャーレスと転耕、現在はサンパウロ市在住。「六年前に来たんだけど探す時間がなくて」と金城さんの肩を抱きながら、半世紀ぶりの再会を喜ぶ。
 開会の式であいさつに立った玉城ジョルジ会長(66、二世)は、ふるさと巡りの一行を歓迎、「沖縄の伝統文化を楽しんでいってほしい」とあいさつした。
 老若男女が様々な伝統芸能を披露するなか、一九九五年に神奈川県の同じ職場で働いたという有坂艶子さん(73、二世)と新城ナオコさん(69、二世)も旧交を温めていた。
 「嬉しい」と艶子さんが手を握れば、ナオコさんも「世界は小さいね」とはちきれんばかりの笑顔を見せた。
 「ここはみんな知り合いだから」。二人の再会の手助けをしたのは、カンポ・グランデ在住ながら、サンパウロからふるさと巡りに参加した名嘉正良さん(73、沖縄)、「ツッパンとかバストスに行ってみたかったからね」と話しつつも、二十三回目から皆勤賞だという。
 「週末にカンポ・グランデに買い物に来ることが楽しみだった」と感慨深げに話すのは、千坂恵子さん(57、埼玉)。
 八〇年代にバルゼア・アレグレ移住地に二年間、JAMIC職員として駐在した夫平通さん(57、現JICA聖支所長)と共に滞在した。 今回夫婦で参加、「教わることが多いし、記憶がいいことに驚く」と参加者らの話に耳を傾けていた。
 婦人会自慢の沖縄ソバを堪能、帰る間際に合唱した「ふるさと」では、ブラジリアから初参加した荒木滋高さん(76、三重)のハーモニカ伴奏が花を添えた。
 一行は式典に参加していた同市観光文化フェイラ協会のアウヴィラ・ソアレス会長(43)の招待で、沖縄ソバで有名な常設フェイラを訪れ、ホテルに戻った。
 この晩、高良さんと金城さんは、五十三年の月日を埋めるかのように、朝三時まで杯を重ねたという。(つづく、堀江剛史記者)

写真=53年ぶりの再会を喜ぶ参加者の高良幸一さん(右)とカンポ・グランデ在住の金城幸吉さん