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もっこす魂で刻んだ百年=熊本文化交流協会=県人移住と県人会の節目=州議会議事堂で盛大に祝う=母県から140人の慶祝団

ニッケイ新聞 2008年10月21日付け

 ブラジル熊本県文化交流協会(小山田祥雄会長)主催による「熊本県人ブラジル移住百周年」および同会創立五十周年記念式典が十七日夜、サンパウロ州議会のジュセリーノ・クビシェッキ会議場で挙行された。式典にあわせ母県からは蒲島郁夫知事をはじめ約百四十人の慶祝団が来伯、アルゼンチン、ボリビア、ペルー、パラグアイ、アメリカ、イギリスからの県人会関係者を含み、国内外から五百人以上が出席し、二つの節目を祝った。
 「正義感が強く、頑固で、曲がった事が嫌い」とも言い表される、熊本県人の〃肥後もっこす〃気質。
 第一回移民船笠戸丸以来、〃移民の父〃上塚周平氏をはじめ、県連初代会長の中尾熊喜氏など、熊本県出身者とその子孫たちは移民百年の歴史の中で大きな役割を果たしてきた。戦前戦後を通じた同県からの移住者は約二万三千人。
 ブラジル熊本県文化交流協会は一九五八年五月十七日、中尾氏を初代会長に在伯熊本県人会として発足した。現在約三十カ所に国内支部があり、五百家族ほどの会員が加入している。
 午後八時過ぎ、ヴァルジール・アギネロ副議長の進行で記念議会が開会。冒頭県系二世の飯星ワルテル連議があいさつに立ち、「誠実さや決断力を教えてくれた」亡き父、そして先人たちへ感謝の言葉を述べ、「二〇〇八年はさらなる発展を築く出発点」と力強く語った。
 先亡者への黙とうに続き小山田会長は、「固い決意と忍耐で、流した涙の一滴一滴を勝利に結び付け、ブラジルでの信頼を勝ち得てきた先駆者が子孫に伝えた倫理とモラルを守っていきたい」と決意を表した。会長は歴代の県人会関係者の功績を称えるとともに、「多くの若者が貴重な体験をできた」留学制度について母県と県人会に感謝の言葉を述べ、「私たちに続く若者も同じ機会を与えられると思っています」と制度継続へ期待を表した。
 若い頃米国に渡り二年間農業に携わった経験を持つ蒲島知事は、自身の体験を振り返り、また移民のために生涯を捧げた上塚周平を例に挙げながら移民の苦労を思いやった。そして式典を「次の百年へ新しい一歩を踏み出す時」と位置付け、「ブラジルの皆さんは心強い存在。これからも様々な形で連携を深めたい」と述べた。
 児玉文雄県議(議長代理)、幸山政史熊本市長、牛嶋弘同市議会議長、柿山武志・熊本日伯協会副会長(慶祝団長)、西林万寿夫在聖総領事、羽藤ジョージ市議ら両国来賓もあいさつ。祝辞とともに、今年四月に死去した福田康雄前会長を悼む言葉も聞かれた。
 その後は県人会と県、市、日伯協会が記念品を交換し、飯星、ウィリアン・ウー両連議、羽藤市議がそれぞれ日本側来賓に記念プレートを贈呈。
 四十六年間で百四十八人が訪日した留学・研修生OBを代表して松本ミリアン美輝さん(〇七年度)、谷カチア歩さん(〇二年度)が壇上に上がり、「日本で学んだことを生かし、掛け橋として貢献していきたい」などとあいさつした。
 尺八、琴や三味線の演奏が披露された後、午後十一時前に式典は終了。その後入口ホールで鏡割りとケーキカットが行なわれ、夕食会に移った。歌や太鼓のほか、サンバ隊も出演し、十二時半ごろまでにぎわった。
 この日はまた、会から十八の県人会功労者・団体への感謝状贈呈も行なわれた。
 表彰を受けた柳森優元会長(87)は、「今日の式典でも、会長をはじめ立派な後継者ができていると思った。二、三世の人たちにも、先輩の活動を受けついで頑張ってほしい」と期待を表した。
 同じく表彰された嶋田秀生元会長(86)、プロミッソンから訪れた安永忠邦さん(87)たちも「(表彰は)思ってもみなかった」と笑顔で話していた。