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県連ふるさと巡り=移民街道・パンタナール~2千8百キロをゆく=連載〈7〉=プロミッソン=移動日の大雨に安堵=上塚公園で線香手向け

ニッケイ新聞 2008年10月21日付け

 「ふるさと巡り」は西へ東へ。行程も中盤を迎え、ノロエステ街道を六百キロ、プロミッソン・リンスに向かう。一号車は、最初の晩の宿泊地となったトレス・ラゴアス市の手前、アグア・クララのポントでしばし休憩を取る。
 昼食を予定しているレストランの収容人数の関係上、時間差をつくるのだという。ガイドのエリオ氏によれば、百十七人という大所帯だけにホテルの予約などにも苦慮したようだ。
 その間、買い物などを楽しんでいたが、夜半から降り続いていた雨が最高潮に。
 「昨日のパンタナ―ルで降らなくてよかったねえ」という声もちらほら聞こえるなか、「行く先々で法要してるからね。(参加者の)日頃の行いもいいんでしょう」と、恰幅の良い体を揺らせて笑うのは、熊倉昭治さん(80、新潟)。七歳で移住し、二十六歳までバストスで過ごした。
 「第二の故郷ですよ。卵祭りを始めた頃、(バストス市長を務めた)西徹さんに『手伝え』って言われてね」と懐かしそうに話しながらも、「そんなことを話す人もどんどんいなくなってきたね」とポツリ。
 慈雨と喜ぶのは、カンポ・グランデ在住の名嘉正良さん(73、沖縄)「もう二週間も降ってなかったからね。牧場も枯れてたよ。みんなに雨を持って来てもらった」と嬉しそう。 
 第十四回から「ふるさと巡り」のコーディネーター役を務める伊東信比古さん(65、大分)によれば、「雨に祟られたことはまずない。まあ時期もあるんだろうけどね」と話す。
 この日は、九月三十日。ポントに着くまで、バスの中では、パラヴェンスが歌われ、多川富美子さん(三重)の七十二歳の誕生日を祝った。
 今回の参加で二十六回目となる多川さんだが、毎年同時期に実施されるため、「娘には、『ママイの誕生日はいつも旅行先ね』って言われるのよ」と笑う。
 多川さんは、「今後ともよろしゅうお願いします」とあいさつ、感謝の気持ち、とポントで買ったソルベッチを配った。
 「昼食後にもう一回パラヴェンス歌って、デザートを貰おう」と鶴我博文さん(72、福岡)が混ぜ返し、バスの中は笑いに包まれた。
 トレス・ラゴアスを通過、ジュピア発電所のあるパラナ川を渡り、サンパウロ州へ。大豆畑からカンナ畑へと風景が変わるとともに道路の状態も良くなった。
 アンドラジーナのレストランでは、シュラスコの昼食。和田始さん(78、二世)と隣り合わせになった。
 今回は不参加となったが、夫の一男さん(84、奈良)が最高の参加数となる二十七回、始さんも今回で十四回目という常連夫婦だ。
 「今まで一番良かったのは、アマゾン訪問(〇四年、二十回目)。一番疲れたけど、一番変わったものが見れた」と感想を話す。
 「ふるさと巡りの記事はいつも束にして取ってある。今回も楽しみにしてますよ」という言葉にプレッシャーを感じた記者は、とりあえず胃もたれを防ごうとアバカシーを取りに席を立った。
 途中、一台のバスが警察に関係書類の提示を求められ、到着が遅れたものの、一行は無事プロミッソンの上塚公園に。
 雨もからりと上がり、プロミッソンの顔ともいえる安永ファミリーの安永ルイスさん(71、二世)が出迎えてくれた。
 光明観音堂で線香を上げたあと、一行は思い思いに公園内を散策した。 上塚が瓢骨の俳号で残したあまりにも有名な俳句「夕ざれば 樹かげに泣いて 珈琲もぎ」「夜逃げせし 移民思ふや 枯野星」が刻まれた句碑前で、熱心にメモを取っていたのは、江藤キヌエさん(69、福岡)。
 「長いことブラジルにいるのに何も知らない。勉強しなけばいけないね」と謙虚に話していた。
 「一度来て見たかった。心からお祈りしました」と神妙な面持ちの照屋キョウヘイさん(75、沖縄)は、「何かしたいが…賽銭箱があってもいいのでは」と話す。関係者に聞けば、過去にはあったそうだが、賽銭泥棒が多いため撤去したという。
 一行は、リンスのリゾートホテルに宿泊、温泉プールで長旅の疲れを癒した。
 記者のプロミッソン訪問は、四、五回になるだろうか。毎回、案内に立ってくれるルイスさんの兄、安永忠邦さん(87、二世)の姿が、そういえばなかった。
 小学生の頃、病床にあった上塚を見舞い、葬式にも参列。今や墓守とも語り部ともなっている忠邦さんのことが気にかかりつつ、風呂上がりのビールを傾けた。
(つづく、堀江剛史記者)
写真=上塚瓢骨の句碑の前にたたずむ参加者ら