ニッケイ新聞 2008年10月23日付け
「雨ニモマケズー」で有名な宮沢賢治のメモに「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シの野菜ヲ食べ」とある。四合は多い気がするが、副菜が少なかった当時、労働者の平均は一日六合というから、これは質素の例え。ともあれ、日本人の食の中心は米であり、「美味い米さえあればー」との向きは多い▼しかし、日本民族が弥生の時代から染み込ませてきた根幹が簡単に変化してしまうのは何故か。戦前コロニアを過ごした二世を除けば、「米だけではどうも…」となり、味付きと区別し、「白ご飯」との呼称も一般的だ。これはイタリア料理についてもいえる。本国では、要となるアルデンテ(固ゆで)が、悲惨な状況となるのは、伊系移民の多いアルゼンチンでも同様だ▼沖縄ソバに対しては、「麺が柔らかい、スープがぬるい、肉が牛肉」という批判(?)を日本から来た人から聞く。前の二つはともかく、「鳴き声以外は食べる」ともいわれる豚食文化が消えるのは不思議だ▼沖縄ソバで有名なカンポ・グランデ市営フェイラ協会の会長から最近、「ソバ・ミッションを沖縄に派遣する」計画を聞いた。本場の味を持ち帰ることが狙いだ。独自に発展したものの、〃先祖返り〃を図る過程が面白いが、以前、大分県でトリ飯を習ってきたものの、その味が定着しなかったことが思い出される▼しかし、スープの味は昔ながらとの声もあるし、フェイラの会長はドイツ系だ。ブラジルの〃ソバ〃が織り成すのは、沖縄のチャンプルー文化そのものであるところがまた興味深い。 (剛)