ニッケイ新聞 2008年10月24日付け
リンスを出発した一行は、最終目的地であり、今年市政八十年を迎えるポンペイア市に一日夕方に到着した。西村俊治技術財団のアーチ型の門をくぐり、敷地内にある会館へ。
出迎えた終身会長である西村俊治さん(98、京都)の回りに、握手を求める参加者らの輪ができた。
アチバイア在住の及川君雄さん(71、岩手)が持参、初日にツッパンに預けたバラと、日本語で感謝の言葉が飾られた部屋で西村さんは、「一人で来たけど、家族は今六十人。ブラジルのようないい国に来れたことを感謝しています」と話し、拍手が送られた。
長友団長は、「元気な姿を見ることができ、有難い限り。『分福』をモットーに自分の主張を貫かれてきたことを尊敬している」とあいさつ。
力行会出身である西村さんを囲み、同じく同会出身の参加者六人が記念撮影。五六年に十五期生として来伯した平川行男さん(81、福岡)は、「(西村さんのことは)日本を出る前から聞いていた。永田稠の『コーヒーよりも人を作れ』の精神を受け継いだ人」と大先輩との出会いに感激の様子だった。
続いて、様々な記念品や写真約四千百点を展示する「西村俊治記念館」を見学した。
五五年にツッパンに入植、十八年間、棉栽培を行い、JACTO農機の消毒機を買ったことがあるという高良俊男さん(70、沖縄)は、「一世一代でこれまでの企業を築き上げた。普通の人にはできないねえ」と感慨深げに話した。
入り口のアーチ前で記念撮影をした後、夕食を摂るため、ポンペイア市内にあるJACTOの社員食堂に向かった。
西村さんの秘書を十四年間務めたポンペイア文化体育協会の須賀得司会長(76、和歌山)が出迎え、三〇年~五〇年代には、十三の植民地、約二千家族がいた同市日系社会の歴史を話し、「高齢化のうえ、盛大な歓迎会もできないが、時間の許す限り交流を温めたい」とあいさつ。
乾杯の音頭には、力行会出身の鶴我博文さん(72、福岡)が立った。しばしの歓談の時を過ごし、最後に恒例の「ふるさと」を野外で歌おうとしたおり、暴風雨が吹き荒れだし、一行は、ほうほうの体でバスに乗り込んだ。
バスの運転手がポンペイアの町は初めてということもあり、須賀会長らの車の先導により、国道に出ることができた。
四泊七日となった「第三十回移民のふるさと巡り」の最後の夜、参加者らはそれぞれの思い出を胸に、サンパウロまでの四百キロの帰路についた。
◎
JICAサンパウロ支所長の千坂平通さん(57、埼玉)は、かつてJAMICの職員として、バルゼア・アレグレ移住地に赴任した当時から、ツッパンやバストスを訪れたかったという。
「三十年来の思いが叶った。移住者であるみなさんの体力、気力、協調性、連帯感には驚いた。今の日本人にも学ぶものがある」と感想を話した。
初めて参加した山岸正二さん(64、東京)は、「スケジュールがちょっときつ過ぎる」と苦言を呈しながらも、「何か魅力がある。バストスには日本人の〃顔〃があった」。
九三年になくなった夫の達雄さんと「いつか移住地巡りをしたいね」と話していたことを振り返るのは、磯順代さん(69、福島)。「戦前移民はご先祖様。今があることを移住者として考えさせられる」。十七回目となるが、必ず数珠を持って参加する。
「ブラジル人のツアーも行ったけど、日本人の方がのんびりできるね」
と初参加の赤城ユキエさん(72、二世)は、「また参加したいね」と笑顔。
「ジャカレイが見れたパンタナールが良かった」と満足そうな笑顔を見せる花土淳子さん(72、岡山)。
次に行きたいところを尋ねると、隣にいた村上美代子さん(60、二世)と、「やっぱり、今度はパタゴニア!」と元気な声を揃えた。
(終わり、堀江剛史記者)
写真=左から、西村俊治技術財団の正門前で記念撮影。参加者らにあいさつする西村俊治さん