ニッケイ新聞 2008年10月31日付け
「ブドウの作り方は変化していくから、頑固な日本人はついていけない人もいる。でも、ここ数年で出たのは五家族だけ。成功してるといえるんじゃないかな」―。
九月上旬、収穫を直前に控え、作業員らにテキパキと指導しながら、地域の景気を説明するのは、松本ケンさん(連載一回目)の兄シュンさん(45)。コチア産業組合の農業技師として八七年に移住した。
種無しブドウ「トンプソン」を土壌、気候に合わせて研究、改良を重ね、〇七年には一ヘクタール平均四十トンを収穫するまでに育てた輸出景気の立役者だ。
同地のブドウ生産は、七〇年代から栽培されていたが、九〇年から〇〇年の十年間は耕地面積が五千ヘクタールと停滞した。
しかし、アメリカ、欧州で人気の高い「トンプソン」の生産が本格的になった〇五年の統計では、一万二千ヘクタールと爆発的に増えている。
「ドルの下落、肥料の高騰、最低給料の上昇だけ見れば、生産者にとって状況は悪くなっているけど、経営状態は良くなっている」。逆境を上回る景気の風が吹いているようだ。
これだけの好景気を支えるのは、州内各地やピアウイから来る季節労働者だという。働き口には困らないため条件の良いファゼンダに移ることも多く、収穫が始まる前から給料を払うこともあるという。勤労意欲を上げる意識改革も雇い主の大きな課題だ。
現在、技術指導員として、五千ヘクタールのブドウ農地を受け持つ。「技術面では大きな問題はない。やっぱり難しいのは労働者の管理。人間ですよ」
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「来年は二ヘクタールをブドウに変えようと思っているんだ」と控えめに話す石橋ルイスさん(43)は、バストス出身。
日本で五年働いた後、九五年にコチアの技術員で来ていた兄の勧めで六・六ヘクタールを五万レアルで購入。翌年に六・二ヘクタールを買い足し、現在はゴイアバ、マンゴー、バナナ、アセロラなども栽培する。
マンゴーは時期にもよるが、キロあたり二十センターヴォから一・五レアルと変動が激しいため、買い手も価格も安定しているブドウに転向したいが、「かかるお金がマンゴーの十倍だから。まあ、ゆっくりとね」。
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〇八年五月に事務所をペトロリーナへ移転したジュアゼイロ農業協同組合(Cooperativa Agricola juazeiro da Bahia)の宇津巻ヨシオ会長(60、二世)は、「ブドウを今増やす人は少ない。むしろ土地を売りに出す農家もいる。もう一年悪かったら難しいのではないか」と見る。
〇六年に降り続いた雨のせいで輸出用ブドウの品質が落ちたことを踏まえたうえで、ブドウ農家のなかでも浮き沈みが出てきている、と分析する。
組合に入っている五十家族のうち、日系は三十家族。〇五年の七十六家族から、全体の数は減少傾向にある。
「大規模にやっている人が(農協)を出ることもある。厳しいけど、自立することは応援したい」。しかし、全体の生産量は落ちておらず、地域上昇傾向にあるという。
今後の問題点として、ブラジルの農務省が多種の農薬使用を認めないことを懸念材料に挙げる。
「現在使用している農薬が輸出先国で制限されると、代替となる農薬の選択があまりに少ない。研究者もいるが、政府の取り組みはあまりに遅い」と指摘しながら、輸出に頼る危険性を強調する。
(つづく、堀江剛史記者)
写真=農業技師として指導を行う松本シュンさん